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チュニジアの素顔
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Karthago قرطاج
世界文化遺産に1979年登録
カルタゴはフェニキアの女王エリッサが紀元前814年に建設し、地中海の交易や農業で栄えました。
ローマとの第1次ポエニ戦争(前264〜前241)、第2次ポエニ戦争(前218〜前201)、
第3次ポエニ戦争(前149〜前146)で陥落しました。
ローマは塩を大量にまき草木も生えぬよう徹底的に破壊し、
紀元前29年にローマの都市計画に沿って再び復興し、2世紀には巨大建造物が造られました。
7世紀にはアラブの進入によって首都がケロアンに移り、
その後1057年にチュニスに首都が移って、カルタゴは廃虚と化しました。
そのため主たる遺跡は大部分がローマ時代のものであります。
現在は大統領官邸や日本大使公邸などの高級住宅街になっています。

カルタゴの模型図 ↑
丘の上にはカルタゴ市の中心があり、丸い港が軍港、
左下の四角い港が商業港、商業港脇の茶色の建物が倉庫群、右下が地中海です。
軍港右の茶色の建物付近と空き地一帯に、後にローマによってアントニヌスの共同浴場が建てられました。

ピュルサの丘 ↑
フェニキア人によるカルタゴ市の中心があった場所で、カルタゴ博物館とサン・ルイ教会が建っています。
丘の斜面にはポエニ時代の住居跡が有り、住宅の先は地中海です。

ポエニ時代の住居跡 ↑
右上がピュルサの丘で、当時は数階建ての建物であったようです。

軍港とカルタゴ市街 ↑
左の小高いところがカルタゴ市の中心であったピュルサの丘です。
対岸はドーナツ状の軍港敷地です。

軍港のドック跡 ↑
写真の上方が現在は壁で塞がれていますが、
造船した船の進水や修理などで船を丘に上げる施設で、港に向かって傾斜しています。
アントニヌスの共同浴場 ↑
2世紀にアントニヌス・ピウスによって建てられた広大な共同浴場です。
2階建ての建物に100を越える部屋が2階部分に配置され、
サウナ、プール、水風呂、温浴風呂、噴水など、色々な施設がありました。
床には綺麗なモザイク、彫刻の施された大理石の柱、フレスコ画の壁などで飾られ、贅沢な造りになっていました。
水は60km離れたザグーアンから、132kmの水道橋や地下水路によって運ばれました。
〔注意〕 隣は大統領官邸ですので、カメラを向けることは出来ません。
ラ・マルガの貯水槽 ↑
ザグーアンから運ばれた水は左側の水道橋を通じてここに運ばれました。
広大な貯水槽から共同浴場をはじめ、各家庭へと配水されました。

ローマ劇場 ↑
1万人を収容した劇場で、現在のものは復元されたものです。
毎年カルタゴ・フェスティバルの会場として、ギリシャやローマの古典劇などが上演されます。
ローマの住居跡 ↑
ローマ劇場の隣にはローマ時代の住居跡が残っています。

トフェ ↑
ポエニ時代にタニト神(カルタゴ守護神)とパール・ハモン神(フェニキアの宗教神)が祀られていた聖域です。
現在はポエニ人の墓地となっています。

大砲の弾 ↑
カルタゴ博物館の庭に野積みになっていますが、
当時の大砲(巨大なバッティングセンターの投球機械のような方式・・・当時は人力)で用いた石の玉です。

マゴン・クウォーター ↑
紀元前5世紀頃に建てられた海に面した住居跡です。
後にローマ人によって建て直されており、現在あるのはローマ時代の住居跡です。
円形闘技場 ↑
ローマのハドリアヌス帝時代の建設であるが、現在は基礎部分が残るのみです。
罪人や奴隷と猛獣との戦い、キリスト教徒の処刑などが行われていました。
156m×128mあり、36,000人を収容できました。
首都の施設だけに様々な彫刻が施されていました。