أهلا وسهلا                             チュニジアの素顔               تونس
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                                                                                                (チュニジア)

 

                                                                    チュニジア歴史の概略

تاريخ تونس      

チュニジアは、紀元前814年に世界で6番目に建国されたカルタゴが前身です。

 

 

 

 

 

テキスト ボックス:  メジュルダ川の河口に、優れた航海術を持つフェニキア人が紀元前12世紀頃にユテカの町を造り、地中海各地との交易をしていました。
テキスト ボックス:  カルタゴは紀元前814年に、フェニキアの女王エリッサによって建国され、長い歳月を地中海と沿岸の国々や島々を支配していましたが、ローマによって紀元前146年に消滅しました。
                                                                               

 

 

 

 

テキスト ボックス:  消滅100年後にローマの属州となり「属州アフリカ」として再建されました。
 その後はイスラムの侵攻など、多くの経緯を経て1881年にフランスがチュニジアを保護領とする宣言をし、1956年3月20日にフランスの植民地支配から独立しました。

 

テキスト ボックス:  1957年7月25日に共和制を宣言し、ハビブ・ブルギバ氏が初代大統領に就任し、1987年11月7日にズイン・エル・アビディン・ベン・アリ氏が2代目大統領に就任し、今日に至っています。

 

                                                    末尾にカフェの歴史を掲載

 

第一次ポエニ戦争   紀元前264年〜前241年

              カルタゴはシチリア半島の西半分を支配し、東半分の北にメッシーナ、南にシラクサが有りました。

                シラクサに侵略されたメッシーナは、支援をローマに求めたことから第一次ポエニ戦争に発展していきました。

                その結果、地中海第一の海運国で最強の軍船団を持つカルタゴが、400年築き上げてきたシチリア権益の全てを失い、

                シチリアから撤退し地中海の西半分を失いました。

傭兵戦争         紀元前241年〜前219年

                第一次ポエニ戦争に参加した傭兵たちの賃金未払いをめぐって、カルタゴと傭兵たちとの間で紛争が起きました。

第二次ポエニ戦争    紀元前218年〜前201年(ハンニバル戦争とも言う)

                紀元前219年にハンニバルがサグントンを攻撃し、前218年5月にフランス横断とアルプスの山脈越えでローマ侵攻を図る。

                アフリカ大陸ザマの合戦でハンニバル軍は全滅しました。

ヌミディア王国との抗争  その後ヌミディア王国との抗争が続く

第三次ポエニ戦争     紀元前149年〜前146年

                 紀元前146年カルタゴは滅亡し、ローマの属州となり、属州アフリカとなる。

                 ローマは徹底的にカルタゴを破壊し、大量の塩を撒いて人間はもとより草木も生えぬようにしました。

年  表     

年    代

歴 史 の 動 き   (カルタゴ・チュニジア関係抜粋)(日本関係抜粋)

紀元前1100頃

紀元前880頃

紀元前814

紀元前753

紀元前750頃

紀元前722

紀元前671

紀元前612

紀元前525

紀元前509〜前27

紀元前472

紀元前312

紀元前300頃

紀元前298

紀元前272

紀元前264〜前241

紀元前263

紀元前247

紀元前241

紀元前238

紀元前237〜前230

紀元前229

紀元前228

紀元前221

紀元前218〜前201

紀元前215

紀元前214

紀元前213

紀元前211

紀元前208

紀元前207

紀元前205

紀元前203

紀元前202

紀元前201

紀元前195

紀元前190

紀元前183

紀元前168

紀元前150

紀元前149〜前146

紀元前146

紀元前111

紀元前29

紀元前27〜395

紀元前4頃

紀元前2頃

30

54〜68

70

80

395

476

570頃

593〜622

609

610頃

622

630

632

632〜661

640

645

661〜750

712

720

726

750〜1258

756〜1031

786〜809

786

794

800

875〜999

909〜1171

912〜961

934〜1055

962〜1806

969

977〜1186

1038〜1157

1054

1016

1056〜1147

1057

1077〜1221

1077〜1302

1130〜1269

1453

1881

1956

1957〜1987

1987

フェニキア人が移住しユティカの町を建設する

フェニキア文字をギリシャに伝達し、アルファベットの起源となる

フェニキアの女王エリッサによってカルト・ハダシュト(カルタゴ)の町が建設される

ロムルス・レムス兄弟によるローマ市の建設

ギリシャ各地に都市国家(ポリス)が造られる

イスラエル王国がアッシリアに滅ぼされる

アッシリアがオリエントを統一

アッシリア帝国が滅亡

ペルシャのカンビュセス2世がエジプトを征服し、全オリエントの征服が完了した

ローマはエトルリア人の王を追放して共和制に移行

ローマに平民会が設置される

ローマはアッピア街道を建設し、最初の軍道を造る

北九州に弥生文化が成立

ローマはサムニウム人を征服して中部イタリアを支配

ローマはタレントゥームを占領してイタリア半島を統一する

第一次ポエニ戦争(地中海域の覇権争い)

ローマはシラクサと同盟   カルタゴ軍シチリアに上陸

ハンニバル生まれる

第一次ポエニ戦争終結   ローマはシチリアを属州にする

ハミルカル司令官はカルタゴ反乱軍を鎮圧し、スペインに移住する

カルタゴ国内派と進出派の抗争

ハミルカルが戦死し、女婿ハシュドゥルバルが将軍になる   ローマ軍はイタリアへ侵攻

カルタゴはスペインにカルタヘーナ建設

ハンニバルが総督になる    秦の始皇帝が天下を統一する

第二次ポエニ戦争(ハンニバルがアルプス越えでイタリアに侵攻)

シラクサはマケドニアと同盟    マケドニア王フィリップス五世はカルタゴと同盟

エジプトのプトレマイオス王朝はローマと同盟

ハンニバルが南イタリアの都市を攻略

スペインのローマ軍は壊滅状態になる   シラクサをローマの属州にする

ハンニバルの次弟ハシュドゥルバルがスペインからアルプス越えでイタリアへ出発

ハシュドゥルバル戦死

マゴーネがジュノバに上陸

ハンニバルがカルタゴに帰還   ヌミディア王国がローマと同盟

ザマの合戦で大スキピオ軍がハンニバルを破る  カルタゴはローマと講和  漢王朝成立

第二次ポエニ戦争終結  ローマは西地中海の覇権を掌握

ヌミディア王マシニッサがカルタゴ領に攻撃を開始する  ハンニバルがシリアに亡命

ハンニバルがビィテニアへ亡命   シリアはローマに破れ講和、制海権を失う

ハンニバル自殺

ローマがマケドニア王国を征服

カルタゴの傭兵がヌミディアに侵攻

第三次ポエニ戦争(小スキピオ軍がカルタゴを攻囲する)

第三次ポエニ戦争終結  カルタゴ滅亡  ローマの属州となり属州アフリカと呼ばれる

ローマはユグルタ戦争で属州ヌミディア王ユグルタを討伐

カルタゴはローマの都市計画に沿って植民地として復興

ローマ帝政の始まり

イエス・キリストがベツレヘムで生まれる

仏教が中国に伝わる

ユダヤがローマの直轄領となる

イエス・キリストがエルサレムで処刑  キリスト教が成立

ローマのネロ帝が即位

ローマ軍がエルサレムを破壊し、ユダヤ人の放浪が始まる

ローマ市にコロセウムが完成

ローマ帝国が東西に分裂

西ローマ帝国滅亡

ムハンマド(マホメット)がメッカに生まれる

聖徳太子摂生

蘇我馬子によって日本で最初の仏教寺院「飛鳥寺」完成

ムハンマドがイスラム教を創始する

ムハンマドがメッカからメディナに逃れる   ヒジュラ(聖遷)・・・イスラム暦紀元となる

ムハンマドがメッカを占領し全アラビアを統一する

ムハンマド死亡

バクル初代カリフ(後継者)となり正統カリフ時代となる(1〜4代)

カイラワンにマグレブ最古のシディ・ウスバ・モスク(グラン・モスク)が建設

大化の改新

ウマイヤ朝

古事記なる

日本書紀なる

東ローマ皇帝レオン3世による聖像禁止令

アッパス朝

コルドバに後ウマイヤ朝   イスラム帝国分裂

アッラシードがカリフ(後継者)となる・・・アッパス朝の全盛期

アッパス朝はバグダットを首都にする

平安京遷都

フランク王カール1世西ローマ帝国復興

サーマン朝が中央アジアに出来る・・・イラン系イスラム王朝

チュニジアでファーティマ朝おこる・・・シーア派・・・アッパス朝に対抗

後ウマイヤ朝アッラフマーン3世即位・・・最盛期・・・929カリフを称す

ブワイフ朝・・・イラン系シーア派

オット1世による神聖ローマ帝国の始まり

ファーティマ朝エジプトを征服   カイロ(新都)を建設

アフガニスタンにカズナ朝・・・トルコ系

中央アジアにセルジューク朝・・・トルコ系

キリスト教がローマ(カトリック教)とギリシャ正教に完全分離

藤原道真が摂生となる

モロッコにムラービト朝が成立し、ベルベル人のイスラム王朝となる

ベドウィンの侵入によりカイラワンの街は破壊され衰退

中央アジアにホラズム朝・・・トルコ系

小アジアにセルジューク朝

モロッコにムワッヒド朝

東ローマ帝国滅亡

フランスがチュニジアを保護領とする

フランスの植民地から独立   1956年6月26日日本と国交樹立

共和制を宣言  ハビブ・ブルギバ氏が初代大統領に就任

ズイン・エル・アビディン・ベン・アリ氏が第二代大統領に就任

カフェの歴史

      コーヒーの飲用が15世紀半ばにイエメンで始まり、スーフィー教がメッカ、カイロにコーヒーの飲用を伝えました。

      カフェは1500年頃メッカで商用化され、ダマスカスで1530年、カイロで1531年以前、イスタンブールで1554年に開業しています。

     ※シディ・ブ・サイドのカフェ・デ・ナットが、世界最古のカフェと一部ガイドブックに誤報されています。

        シディ・ブ・サイドのモスクが出来たのが18世紀で、その門前でコーヒーを販売していました。

        従ってカフェ・デ・ナットは18世紀以降のもので、世界最古とは異なります。

 


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