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أهلا وسهلا
チュニジアの素顔
تونس |
(7/21〜8/8)
| 7月21日(木) 今回は初めてエミレーツ航空を利用しました。 たまたまネットで調べたら、他社より燃油税程度安かったのでチケットを購入しましたが、他の人に聞いたところエミレーツは高かったので別の航空会社にしたとも言われました。 食事も他社と殆ど変わらず、寝ていると食事のメニューを置いて行かず、着陸直前にレシーバーや毛布を回収され、慌ただしさだけが印象に残り、決してサービスが良いとは言えませんでした。 フライト時間も2〜3時間多くかかり、今後利用するか否かは荷物の量と料金で判断したいと思いました。
成田空港第2ターミナルから22:00発のEK319便でドバイ(翌日の03:50着)まで行きました。 このルートは往路・復路とも意外と機体が揺れる飛行ルートでした。 深夜にもかかわらずドバイ空港の人の多さと、免税店の多さにも驚かされましたが、トイレの少なさ (場所と便器数共に少ない)も印章に残り、直ぐ行列ができる始末です。
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7月22日(金) 09:35ドバイ発のEK747便でチュニス(12:55着)に行きました。 今回は中東の風景を見ようと窓側に席を取りましたが、一面の砂漠が広がり、スプリンクラーの設置してある所だけが青々としていました。
チュニス空港では私を何度も担当したドライバーが迎えに来ていました。
ドライバーと両替をしようと歩き出すと私を呼ぶ声がし、振り向くと以前アトランティス・ボヤージュを首になり、他社でドライバーをしている方でした。
取り敢えずアトランティス・ボヤージュに向かい、お土産を渡して、それからホテル(エル・ハナ・インターナショナル3★)に向かいました。 夕方、ドライバーの迎えでシディ・ブ・サイドに向かい、JATA(日本旅行業協会)の人達と、チュニジア政府関係者、元在日チュニジア大使、 在チュニジア日本大使、チュニジア旅行業協会、日本人ツアーの大部分を扱っているアトランティス・ボヤージュ等との懇談会に出席しました。 JATAのチュニジア滞在費等一切をアトランティス・ボヤージュが負担している為、私も参加するようにとのことでした。 日本外務省の海外安全情報で、ツアーが行われる地域がレベル4に格下げされたため、チュニジアツアー再開のための会議でした。
私の今回の旅行目的は、友達の結婚式に参列することと、ジャスミン革命後のチュニジアの状況を自分の目で確認することです。 私はレベル3の地区にも行きましたが、革命以前と変わらず安全であることを確認してきました。
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7月23日(土) 今日はカルタゴ遺跡を回ることになっており、ドライバーとガイドがホテルに迎えに来ました。 いつもはガイドを付けないのですが、今日はガイドが話す日本語をテストする役を引き受けたのです。 先ずビュルサの丘に行き、意地悪い質問をしながら説明をさせ、古代カルタゴの墓地や住居跡、博物館の裏、カルタゴ博物館の一角に有るポエニ人の博物館(2TD)、カルタゴ博物館を見物しました。
その後、ラ・マルガの貯水池、円形闘技場を見て、一旦カルタゴから離れラグレットで昼食を摂ることにしました。 私はツーリスティックのレストランは好きでないので、何時も利用するレストランは屋外か1階の部屋にしており、今回は屋外にしました。 食べていると多くの観光バスが訪れ、入場できずにバスも待たされている始末で、予約はしてあったのでしょうがこのような光景は初めて見ました。 このレストランから100m先には庶民のビーチが有り、多くの人で混雑していました。
昼食後に再びカルタゴに戻り、トフェ、古代カルタゴ軍港、アントニヌスの共同浴場、カルタゴ劇場を見物することにしました。 アントニヌスの共同浴場から隣接する大統領官邸にカメラを向けることは禁じられていましたが、ジャスミン革命後にはカメラを向けることが可能になりました。
時間が余ってしまいましたので、ラグレットの浜とガマルタの浜に足を向け、帰路にガイドを自宅まで送り、ホ手に帰りました。
ホテルで着替え、20時に近くのホテルにウティア式(ヘンナ式)に参列する日本人を迎えに立ち寄り、ドライバーと合流しました。 21時からと聞いていたので、間に合うよう会場に着けども誰も見えていません。 30分ほどするとやっと参列者がボツボツと集まり始め、実際に開始されたのは22時〜深夜の1時頃まででした。 ウティア式(ヘンナ式)は首都チュニスの結婚式をご覧ください。
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7月24日(日) ドライバーと出発する前に中央市場に行き、魚市場で前回訪問時に写した写真を渡し、新たな写真を写し、 場外市場の前に有る種屋でブスベスの種を1袋2.5TDで購入しました。
その後、前回写した写真を渡すためにセジュヌーンに向かいました。 チュニジアの北部・中部の大地は農業地帯であるが、乾季の期間が長い台地は水の散水が大変重要な作業でもあります。 各地の畑には散水用のホースが株基に敷かれています。 写真を頼りに聞いてみるとすぐ近くでしたが、母親が出てきて娘はビゼルトに嫁に行ったとのことで、写真を母親に渡しました。 私にセジュヌーン焼の取っ手の付いた皿を下さったので、十分に注意しながら梱包したのですが、残念ながら日本に帰ると取っ手が2つに折れていました。
セジュヌーンを後に世界遺産のイシュケウル国立公園に向かいました。 今回は中に入場しないで、イシュケウル山を一周してビゼルトの旧ポートで写真を数枚写し、チュニスのホテルに帰りました。
17:00過ぎにチュニスの市場入口から中央郵便局、チュニス中央駅、等、裏通りを歩いてみましたが、日曜日のためか殆どの店が閉まり、 街頭販売が少しあるのみでした。 今日の昼食はラムのバーベキューとサラダ等です。2人で17TD=約1000円 |
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7月25日(月)・・・共和国記念日で休日
私は気管が弱く昨日の朝から喉がおかしい・・・風邪の恐れが有るので薬局で薬(シロップ、錠剤、粉薬)を購入14.864TD=約900円である。
今日は日本から結婚式に参列する方を案内してボン岬方面に行く事にしました。 先ず、水道橋が道路沿いに林立しているラ・マハマディアで、何時も立ち寄っている家族の写真を届けに行きました。 歓待を受けた後、ザグーアン方面の集落に行き、写真を見せて聞き出すと、丁度水を汲みに来ていた方のお爺さんとのことで、 その場で写真を渡して立ち去りました。
立ち寄る予定が無かったウディア遺跡を案内し、世界遺産のケルクアン遺跡へと車を進めました。
写真の上は、ウディア遺跡のモザイク画です(改修前のバルドー博物館に展示されていたものの複製です・・・モザイク画はここから出土)。
写真の下は、紀元前6世紀頃(古代ローマ以前の都市)の古代カルタゴ(フェニキア・・・ポエニ人)の住宅と排水溝です。 海沿いに整然と造られ街並みで、多くの家に風呂が設置されています。
夜は知人宅で食事の招待を受けていたので、日本から結婚式に参列する方をホテルに送り、自分も宿泊しているホテルで着替えました。
今日の昼食もラムのバーベキューとサラダ等です。3人で36TD=約2200円 パンは無料で、飲み物やハリッサ等も注文しています。
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| 7月26日(火) 今日は出産を間近にし産休に入ったアトランティス・ボヤージュの日本人スタッフにお土産とお祝いを渡すため、自宅近くまで行きました。 何度電話しても通じないため、入院してお産に入ったのだろうと推測し、本日お会いするのを止めました。 バルドー博物館やセジュミ湖に行く事にしていたが、こちらも中止してホテルに戻り、別のホテルに宿泊している日本から結婚式に参列する方を 連れて、世界遺産のチュニスのメディナを散策しました。 今日は大変な人出で、フランス門を入ったビクトワール広場もスークが開かれていました。
17:30に花嫁宅から結婚式のパレードが始まるとのことで、日本から結婚式に参列する方を誘って16:45にホテルを出発しました。 花嫁宅で待つが実際にパレードに入ったのは18:30頃でした。 花嫁と花婿が同乗した車を先頭に参列者の車が続きますが、クラクションを鳴らしてのパレードです。
式場では、役所の男女担当者が台帳に記帳し、それを朗読し、アッラーに報告し、両人がサインして全ての式は終了です。 別室で両家の両親と新郎新婦が並び参列者から祝福を受けます。 祝福の済んだ方はお菓子と造花を頂いて、参列者同士で歓談したり帰宅します。 参列者全てから祝福を受けた新郎新婦は、突然新郎から新婦に指輪の贈呈が行われました。
結婚式には日本から4名が参列しました。 日本人グループと花嫁のフランス人親族達と一緒に、シュラトンホテルで一寸喉を潤しました。 その後、他の参列者や新郎新婦が加わってディスコに行くとのことでしたが、翌日からのチュニジア視察ツアーが有るので、 ドライバーに送られ深夜のホテルに帰りました。
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7月27日(水) 今日は昨日連絡のつかなかったアトランティス・ボヤージュの日本人スタッフが、昨日女児を出産したのでお土産とお祝いを渡すため、病院に行きました。
ご主人の両親がいましたが、お子さんは別の部屋にいて会うことが出来ませんでした。 後で電話が有り、私が返った3分位後にお子さんが戻って来たとのことでした。
病院を後にハマメットに行きました。 ビーチの海水浴客は意外と少なく、海には何処から来たのか海賊船が多くみられました。 メディナも散策しましたが、意外と人手は少なかったです。
次にポート・エル・カンタウィに行きました。 高速道路からは新しいネフィーダ国際空港(ENFIDHA)が見え、発着の光景が見られました。 今年の3月には日本から臨時便が飛ぶことになっていたのですが、ジャスミン革命のため中断されています。
ポート・エル・カンタウィはサウジアラビアの富豪が造ったリゾート地で、きれいな街と共にゴルフ場なども有ります。 取り敢えず港の前に有るレストランでドライバーと一緒に昼食を摂り(37TD=約2200円)、その後一人で港やビーチを散策しました。 港には国旗の掲揚が無かったので船籍は分からないが、KAMAKURA W 船名のヨットも有りました。 ここは海水浴客も多く、釣り船や海賊船遊びも人気になっていました。
次にチュニジア第3の都市スースに向かいました。
スースに入って喉の薬(シロップ)が無くなってきたので購入した。
その後、メディナを散策したが、土産物屋が並ぶ商店街の人出は意外と少なく、日用品のスークは人手が多かった。 初めて床屋から・・・それも2軒から声がかかった。・・・髪の毛が少し伸びてきたのか??
今夜のホテルは初めて利用するMarhaba Royal Salem 4★である。 私の部屋には、アトランティス・ボヤージュからの配慮であろう・・・ドライフルーツとミネラルウォーターが用意されていた。 翌朝、庭を散策し、プールや木立をぬってプライベートビーチへと足を運んでみた。 まずまずの内容に満足したので、今後はスースも宿泊拠点の一つにしたいと思う。
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7月28日(木) 今日はモナスティールに行き、初代大統領の棺が安置されているブル・ギバ霊廟を参拝しました。 メディナの博物館(入場4TD+写真1TD)で中世の着衣を見てからメデイナで買い物をしました。
ここでの買い物は、チュニジアのイベントで着用するTシャツ3枚(21TD)、地図タオル1枚(9TD)、ティーセット(90TD)、ランプシェード(20TD)です。 その後、夏のビーチを写真に収め、世界遺産エル・ジェムの円形闘技場に向かいました。
闘技場に入る前に昼食です(2名で17.4TD)。 私は羊の頭を食べましたが、以前チュニスのメデイナで食べたのと比べ大変美味しかったです。 食事の後は世界遺産エル・ジェムの円形闘技場を見物しましたが、時々吹き抜ける風が爽やかでした。 その後、少し離れた博物館及び博物館に隣接する遺跡を見物しましたが、博物館では汗が流れ落ちて止まりません。
エル・ジェムを後にマハディアに向かい、ビンシー・ノア・パラス・ホテル(5★)にチェックインしました。 部屋は大変広く、私は3度この部屋を利用しました。 アトランティス・ボヤージュの配慮か、部屋にはミネラルウォーターと果物が置いてありました。 夜は屋外ステージで音楽祭等が行われましたが、部屋から眺めるだけにしました。
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7月29日(金) 朝はプールサイトからプライベート・ビーチを散策し、ホテルをチェック・アウトしてからメディナのカーラ門に行きました。 マハディアはファティマ朝が最初に首都を築いた地であり、近く世界遺産に登録される可能性が高いです。 もう一度半島を回ろうとしましたが、この日はスークが開かれて混雑しており、車で回るのは困難なため諦めました。
展示会で展示したいと思っていた、金糸の刺繍で作られたベストを購入してきました(230TD・・・約13800円)。
前回訪問時にもカーラ門の中で展示即売が行われていたので、どうしても欲しかったのです。 刺繍が多いものは1000TD(約6万円)を超えてしまい、私には手が出ませんでした。 この地の女性たちが一針一針丁寧に刺繍した物です。
予定していたスファックスやガベスに立ち寄らず、マハディアを後に一路ジェルバ島に向かいました。 街道筋でイチジクを一山購入(50個位・・・10TD)しましたが、大変甘く美味しかったです。 喉の状態がまだ良くなかったので、途中で薬(シロップ、錠剤、粉薬)を購入しました。
フェリーでジェルバ島に渡り、そのままホテルに直行しました。 今回のホテルは Almaphura Thalassa で、行ってみると今まで何度も泊まっているビンシー・エル・カンタラ・テラソ(5★)でした。 シャワーを浴びていると水と果物が届けられました。 アトランティス・ボヤージュの配慮と思われます。
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7月30日(土)
今日は1日海賊船遊びである。 今日は港にも多くのお客さんが集まり、出航する船もほぼ全船のようである。 私は予約しないで何時も利用している、港の一番奥に有るハンニバル号に行く。 この船は何時もツアー客がおり、毎日のように運行している。 船長を始め多くの船員が温かく迎えてくれた。 港の賑わいのように今日は2艘での出航である。
私は先行する船で行ったため、往路で網入れするのを見ていないが、後行の船が網入れをした。 帰路に網揚げが行われる際に何匹の魚がかかっていることか・・・ 船はツーリスティックゾーンの先端に有る Rasermel 半島まで行く(ガイドブックには無人島とかフラミンゴ島と記載しているが島では無い)。 約1時間の船中では音楽に合わせてダンスが行われ、踊る者、海を眺める者、恋人と愛をささやく者等、色々な光景が見られる。
今回は無かったが、海賊船員とお客さんが一緒に記念撮影をし、帰路に販売も行われる。
半島に到着すると対岸のビーチまで行き、海水浴を楽しむ者、日光浴をする者、子供と遊ぶ者、海岸を散策する者等、各々が色々な楽しみ方をする。 そこに、物売りやラクダ、乗馬も現れ、鷹も記念撮影に一役買う光景も見られる。 ここも年々多くの海藻が流れ着いてきたが、強烈な日差しに当たりシート代わりに使うこともできる。
各々が楽しんだ後は昼食である。 小屋に戻ってきたお客さんは、順に指示されたテーブルに着席する。 テーブルには、ミネラルウォーターとコカコーラが配られる。 海賊船員たちの演奏する音楽に合わせ、女性客による昼食運びのセレモニーも行われる。 セレモニーの後は、テーブル順に各自が昼食を取りに行く。 大皿には、クスクス、ブリック、サラダ、焼き魚が盛られ、フランスパンも有る。
お替わりも出来る。
食事の後はトークショーが行われ、皆が大笑いをしてひと時を過ごします。 トークショーが終わると音楽と共に果物(今回はスイカ)が海賊船員たちによって運び込まれる。 最後はミントティが出て、半島でのイベントは終わります。 ここの航路は浅いため、潮の具合を見て出航となるので、それまでは船の周りで泳ぐ者もいる。
いよいよ出航です。 船上では別れを惜しみ踊る者、半島を何時までも見つめる者、等、さまざまであるが、私はイルカが出ないかと探していました。 帰路の船は後の船にしました。 こちらは大型で、港に着けば先に岸壁に繋ぐからである。 案の定、先に出航した船は後からの船が着岸するのを待っている。 途中で網揚げをしたら小さな赤い魚が1匹かかっていました。 昨年秋に乗船した際の写真を往路の乗船前に届けましたら、帰路の船内でお客様に自慢げに見せて、日本人が又持ってきてくれたと語ってくれた。 またの再会を約束して船を後にしました。 今日は島内見物しないでホテルに帰り、オイル・マッサージを受けてリラックスすることにした。
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7月31日(日) 明日からはラマダンになる。 ドライバーに合わせて、昼食はもとより、水もなるべく口にしないでおこうと思う。 今日はゲララの町に出かけ、陶器の並ぶ店先をカメラに収めようと思った。 大きな壺と思ったらバーベキューコンロも店頭に並んでいた。
その後、フームスークに行き、国営魚市場で魚(クロダイに似た魚)4匹を購入(17TD)し、レストランで焼いてもらった。 レストランではサラダや飲み物も取り11TDであった。 食後、前回写した写真を届けにスークに行くが、今日は休みで来ていないから明日渡してあげるとのことで知人に託しました。 その後、展示会で展示するためスークで色々な香りの石鹸を20個購入した。 モナスティールの No Discount
店と同じ値段であったので値引き交渉はしなかった(チュニスのメディナでは2.5TD)。
ラマダンを控え、街には多くのスークが出店しており、人々も買い物に忙しい。 ジェルバ島名物の上が平らの帽子をかぶった女性も多い。
次に、ミドウインに立ち寄りスークを散策しました。 20% Discount の店を見つけ、やはり展示会で展示するためにモスク型の燭台(7TD)と小型シーシャー(11TD)を購入しました。 ここにはお土産品が色々と販売されていました。
ホテルのプールに入る気にもなれず、プライベートビーチも暑そうであるため、マッサージでもしようかと受付に行ってみた。 前回は指圧がメニューに有ったので指圧を頼むと、今はやっていないとのことで何にしようかと迷っていたら、 丁度フェイス担当者が見えてフェイスを勧められた。 今更、美男子になる必要もないが意外とリラックス出来、病み付きになりそうでも有る。
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8月1日(月) 今日からラマダンである。
今朝、7時50分の気温は37.5℃、湿度36%であるから、大変暑いラマダンの入りである。 ドライバーは2時半頃に起きて、4時前に朝食を済ませると言う。 私の食事はホテルに合わせているが、チェックアウト後はドライバーに合わせるつもりでいる。
今日はローマ時代に作られた道路を通って、先ずメドニンに向かう。 道路にはメドニンからジェルバ島に送られている水道のパイプラインが続いている。
メドニンはゴルファー裏でゲームを楽しんでいる人達の写真を届けるのが目的である。 何時もより多いメンバーが集まってゲームを楽しんでいるが、写真を渡すと喜んで皆で見せ合っている。 今日はスークが出て人出も多く少し歩こうかとも思ったが、あまり汗をかいて水を飲みたくなっても困るので今日は歩かないことにする。
続いてタタウィンを通り過ぎドゥイレットに行く。 今日はドゥイレットの頂上には登らず、車を止めた先の方を少し歩いてきた。 今回は手前の山だけであるが、次回には是非対岸の住居跡まで足を延ばしてみたい。
続いてシェニニに向かいました。 ドライバーはレストランで食事したらと言ってくれたが、今日からラマダンだと言ってお断りした。 何時ものように右の山から登ることにした。 売店横からの道は上りやすく修復が終わり、建物も補修が行われ、久し振りに歩くこととする。 久しぶりに登るシェニニの頂上は、風も爽やかで気分良いものである。 シェニニの山も多くの人が戻り生活を始めている。
続いて、早いがタタウィンのホテル・サンゴ(3★)に向かうことにする。 テレビもないが私の好きなホテルの一つであり、砂漠のムード溢れるホテルでもある。 部屋に入り先ず水を飲むこととする。 それから洗濯物を干すロープを植木の間に張つた。 湿度も低く厚いものでも2時間もすれば完全に乾いてしまう。 プールも入ろうかと思ったが、昼寝をしてエネルギーを保持することにする。
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8月2日(火)
今日はスター・ウォーズの撮影されたクサール・ハッタダに向かいました。
前回土産物屋で写した写真を届けるためであるが、ベルベル人の女性達は何時行っても布に刺繍をしている。 昨秋に、今年の関空旅博で沢山売るのだと話をしていたのだが、地震のため7月に延期になってしまい関空で会うことはできなかった。 私が開催する「チュニジア展」ではこの刺繍を展示しているのだが・・・! 因みに、ここではアナキン少年の住居として撮影され、レースに出るアナキンを心配そうに見つめる母親もここで撮影されています。
その後、マトマタに行く事にしているが、私がいつも回るコースを回らないのかとドライバーが言うので、回ることにしました。 そのコースとは、山奥にあるベルベル人集落のトゥジャンの事であり、それならばベニゼルテンとハッテジを経由して旧マトマタに行く事にした。
本来ならトゥジャンの穴居カフェで一休みするのだが、ラマダンのため立ち寄らず、集落や山深い風景を写真に収めたりしながらベニゼルテンに向かいました。 ベニゼルテンは廃墟入り口のまだ見ていなかった廃墟を回っていたら、廃墟で2名が昼寝をしていましたので、起こさないようその場を立ち去りました。 夏のラマダンのため、体を動かさず昼寝でエネルギー消耗を抑えているようです。 ここの殆どの廃墟にはヘルベル人の壁画が描かれており、廃墟に通じる道路も観光を意識してか整備されています(トイレはまだ無い)。
次にハッテジに行きました。 ハッテジを経由する立派な道路は2〜3年前に開通しました。
ここも穴居住宅が有るところですが、住宅が点々とあるだけで私は新マトマタを経由するより景色を見ながら回るためにここを選びました。
以前は某TVで人も立ち寄らない山奥と放送されましたが、トゥジャンから比べれば山奥でもなく、30頭ほどのラクダツアーにも出会った事が有りました。
続いてマトマタです。 マトマタは新マトマタと旧マトマタが有り、新マトマタは旧マトマタと25kmほど離れています。 私たちが行くのは旧マトマタであり、スター・ウォーズが撮影された穴居ホテルが今も営業を続け、ベルベル人の穴居住宅も見物できます。 スター・ウォーズの撮影現場を見て、前回写した写真を届けに穴居住宅に向かいました。 近くのホテルに向かい、チェックイン後にプールでひと泳ぎしました。 そして夕陽が山々に沈むところをカメラに収めようと近くに出かけました。
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8月3日(水) ベルベル人の町タメズレッドを経由し、砂漠の中を一路ドゥーズに向かう。 ドゥーズで携帯電話に30TD入金し、町は見ずに温泉の出るケビリへと向かう。 ドライバーの奥様の実家が有り、奥様は現在実家に来ていた。
ドライバーの住居はトズールの隣町なので、ここで子供達に会わないとまた1〜2週間程度は会うことが出来なくなる。 長男は近所の子供達と遊んでおり、父親の顔を見ると急いでお母様に知らせにかけて行った。 奥様にミントティが良いかジュースが良いか聞かれたが、ラマダンと言ってお断りした。 以前デジカメをあげたお礼に頂いたフラッグのお礼を言うと、帰りに砂漠の薔薇を2個家内にと言ってくださった。
その後デブペシャに立ち寄り、奇岩をカメラに収め、夏は水が茶褐色に見える塩湖へと進む。 初めて見る人だが写真に収め、次回写真を持ってくるからと約束してスター・ウォーズの撮影されたシディ・ブフエールに向かう。 崖の入り口を何枚か写真に収め、崖の中には入らずトズールのホテルに行く事にした。 ホテルではプールを独り占めして夏の暑さを楽しみました。
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| 8月4日(木) 今日はスター・ウォーズが撮影された地オング・エル・ジャメルに行きました。 ここはスター・ウォーズのセットが現在も残り、 |