スポーツ医学からみた中高年者登山

 
たじま整形外科クリニック院長                                  医学博士  田島  渉

日本整形外科学会認定医 同認定スポーツ医
 
 中高年者の登山熱は一時的なブームの段階から昨今は完全に定着してきた感があります。
登山は冬山などを除けば、中高年になってからでも挑戦できる手軽なスポーツと言えますが、その一方安易に考えると怪我以外にも、思わぬ事故や大きなトラブルを起こしやすい面もあります。
 特に体力に衰えの始まる中高年齢では、自分が思った以上に身体に負荷を掛けてしまい、日常生活では気が付かなかった隠れていた病気が出てきたり、致命的な合併症を起こすことも稀ではありません。「私は冬山や危険な登山はしないから関係ない」と思うのは間違いです。まず最初に、登山での死亡事故は様々なスポーツの中でどの程度の頻度で起きているのでしょうか。(表1参照)
 表1で見るように決して安全なスポーツとは言えないようです。死亡事故の半数以上は、「転落」「滑落」に依るものですが,病気による死亡も案外と多いものです。特に中高年登山では通常の尾根歩きの登山でも心筋梗塞・脳出血・急性心不全など怪我以外の原因で死亡することがあります。
 平成4年夏の富士登山での死亡者6名は全員が中高年登山者です。死因は滑落などに依るものではなく、急性心不全で死亡しています。
表―1 スポーツ活動中の死亡例の競技種目分布
 水泳
 スキー
 登山
 ソフトボール
 乗馬・馬術
 柔道
 野球
 ラクビー
 アメリカンフットボール 
 体操競技
 合気道
 剣道
 ゲートボール
 ジョギング
 アウトドア活動

10













ポーツ安全協会「スポーツ等活動中の障害査」第13〜15集より、改変)

表―2  PARQ (revised Physical Activity Readiness Question. naire)
はい いいえ   あてはまる方をチェックして下さい)
今までに、心臓に問題があるので許可された運動以外は行ってはいけないと、医師にいわれたことがありますか。
2 運動中に胸の痛みを感じたことがありますか。
3 過去1ヶ月の間に胸の痛みを感じたことがありますか。
4 めまいがしてふらついたり、意識を失ったりしたことがありますか。
5 運動量を増やすことによって悪化する恐れのある骨や関節の問題がありますか。
6 いままでに、血圧や心臓の薬を飲んだほうがいいと医師に言われたことがありますか
7 その他、あなた自身の経験や、医師からの忠告で運動をしないほうがよいと思われるようなことはありますか。
もし、質問のうちひとつでも“はい”があれば、運動を行う前に、かかりつけの医師に相談してください。
 
中高年登山者のセルフチェック]
 これから登山を始めたい、ハイキングから本格的な登山に挑戦したいと考えている中高年者は、セルフチェックを是非お薦めします。(表2参照)
これは特に循環器系のチェックを目的としています。前述の急性の致死性の合併症を防ぐためにも、是非ともセルフチェックを実施してから「安心」して登山を始められることをお薦めします。一つでも当てはまる症状のある方は、まず専門医の診察を受けて下さい。
すでに高血圧や循環器系の病気などのある方も多いと思われますが、主治医に相談する必要があります。通常の過負荷を掛けない程度の持続的運動である登山をすることは十分可能です。
 登山の効果は血圧を下げたり糖代謝を改善して、いわゆる「生活習慣病」には良い効果を期待できます。
 
[運動することで、なぜ糖尿病などが改善するのか]
 正常では、膵臓から分泌されるインスリンは筋肉や脂肪の受容体に働き、血液中の糖を取入れてエネルギーに転換してスムーズに利用されるようにします。(図2参照)
 肥満や運動不足などの原因により脂肪細胞からTNF−α(腫瘍壊死因子−α)、遊離脂肪酸などが分泌されると骨格筋のインスリン受容体がブロックされ、インスリンに対する反応が弱まります。結果として、血液中の糖がエネルギーとして利用しにくくなり、高血糖状態を作ります。(図3参照) 
 高血糖状態が長く続くと組織や臓器の血管をジワジワと痛め障害をもたらして、糖尿病としての様々な症状を引き起こします。
 運動することで筋肉での糖利用が活発になり、インスリンに対する感受性が改善されその機能を発揮します。その結果として悪循環のサイクルが改善され、糖尿病も改善されて大きな予防効果をもたらします。
 しかしながら前述のように無理をすれば、思わぬ合併症を引き起こすこともあり得るので、登山という持続的運動のストレスに生体がどのように反応するのか、自分自身が知って置く必要があります。
 

図-2 骨格筋・脂肪細胞におけるインスリン作用
小林 正 富山医科薬科大学医学部第1内科 教授
 


骨格筋では受容体結合後、@糖の取り込みの促進、
Aグリコーゲン
合成の促進、B糖利用の促進、脂肪細胞ではインスリンがその受容
体に結合しシグナル伝達後、@糖の取り込み促進A脂肪合成の促、
B進脂肪分解の抑制に働く。

日医雑誌 第123巻・第11号/平成12(2000)年6月1日 IS-09
              協賛:武田薬品工業株式会社

 


図-3骨格筋・脂肪細胞でのインスリン作用の低下



TNF-αおよび遊離脂肪酸によるインスリン作用の抑制
TNF-αはインスリン受容体およびIRSでのインスリン・シグラル伝達の抑制、
遊離脂肪酸(FFA)は糖取り込みの抑制を行う。これらの作用は、骨格筋に於
いて最も大きくみられるが脂肪細胞においてもみられる。

日医雑誌 第123巻・第11号/平成12(2000)年6月1日 IS-12

 
 
[登山をするとき、身体はどのような反応をするか]
 登山中の血圧や脈拍の変化について、中高年者を対象とした研究を紹介します。(図4〜8参照) 図4〜8の様に登行開始と共に収縮期圧が6〜38mmHg 上昇した。30分後にはほぼ安静時のレベルまで下降した。その後は登行開始前より低い値を示した。一方では登りでも・降りでも休憩後の行動開始時には、一過性の血圧上昇が見られた。
 
[登山中の歩行ペースの配分について]
 運動強度の目安としてvolg指数(RPE)が在るが、これを実際心拍数と比較すると登山の現場では、実際よりも低めに評価している場合が多い。
 中高年登山者はRPEが16を超えない様にすべきであると言われている。前述の中高年登山者を対象とした研究では、RPEと心拍数はほぼ正比例の関係が見られた。
 RPEの最高値は登行開始後30分と急な登りの2場面で各自の最高値が示された。登行開始30分前後に最高値が見らるのは、登山を開始して一定のペースを掴む段階において心拍数や血圧の急激な上昇によるものと考えられる。いわゆる、身体が「山に慣れる」歩行に慣れる最初の30分前後の段階では、意図的に通常のペースよりも遅くして、次第に通常の自分のペースに持ってゆくような注意が必要でしょう。

[安全登山のポイント]
 中高年者が「安全に登山を楽しむために」次のようなポイントを挙げておきます。
1)歩き始める前ににはウオーミングアップを充分に行い、運動に対する事前の態勢作りをしてからゆっくりした気分とペースで歩き始 める。
2)心拍数を目安に自己の登山ペースを掴み、RPEで「ややきつい」状態の範囲で登山を行なう。
3)定期的に登山を行なっていても日常生活でトレーニングを行なっていないと、登山中に血中乳酸濃度が上がり易くなりバテてしまう ので、日常的・計画的にトレーニングを行なうと良い。

図 9 主観的運動強度(RPE)と心拍数の目安

    主観的運動強度(RPE)   心拍数の目安(50〜55歳)
       
  非常に楽である    〜60
       
運動効果なし    ↑ かなり楽である 60  〜70
  10      
  11 楽である 70  〜90
至適運動強度   ↑ 12      
(ターゲットゾーン) 13 ややきつい 90 〜120
            ↓ 14      
 

15

きつい 120 〜140
 

16

     
赤信号        ↓

17

かなりきつい 140 〜160
 

18

     
 

19

非常にきつい 160
 

20

   

[拍/分]

心拍数を測らなくても、RPEでおおまかな心拍数はわかるが、ぞれらの一致の程度は 個人差もある。’きつい’と感じる運動は、身体に大きな負担をかけるので、山行中は 基本的に避けたい(図1図2ともに「山歩きのサイエンス」による)

次ページへ