つれゝゝなるまゝにひくらしきいほおとにむかひてこゝろにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくれはあやしうこそものくるほしけれ
08年8月26日
いつまでたっても、学ぶことばっかり。毎日毎日が新しい。
07年10月2日
前に、「人には、責任がついてまわる。思わぬ所に落とし穴がある。細心に、粛々と事に向かわなければ」(06年3月2日)と書いた。にもかかわらず、見事に落とし穴にはまってしまった。バランスを取ることの難しさを思い知った。一度起こったことは取り戻せないけれど、せめても最善を尽くして償わなければ。
07年8月17日
「花は心、種はわざなるべし。」(世阿弥『風姿花伝』)
上の世阿弥の言葉が身にしみた話。 体が弱り切っていて、せめてものリハビリにと、久しぶりにピアノを弾いた。ところが、歌おうにも歌えない。以前弾けたはずのところが弾けないからだ(「歌える」は、ここでは、感受性の限りがピアノの音色やリズムに現れることをいっている)。技術がとんでもなく下がってしまったのだ。心はあっても、手が心どおりに動いてくれない。そこで、あらためて、歌うことは、毎日手を動かしてする練習の積み重ねによる「わざ」に根ざしたものだというあたりまえのことに気づいた。
「歌える」とは、世阿弥の言う「花」に近い。感受性(心)が大事なのは言うまでもないが、「心」が「種」ではないのだ。あくまでも「わざ」が種。強靱な「わざ」が土台になり、そこにとぎすまされた感受性という魂(心)が込められて、はじめて「花」になる。 まさに「花は心、種はわざなるべし」である。
07年8月12日
先月大地震のあった柏崎の大学で夏期集中講義をしてきた。地震から二、三週間たった頃に、のこのこ京都から北陸に向かい、私自身は何の手助けもできず、逆に急場をしのいだ力強い当地の人々に助けられて何とか無事授業を終え、助けを借りて、またのこのこ帰ってきた。
震災の時のまま置かれている柏崎駅前の商店街を目の当たりにした。多くの人たちから震災についての具体的なお話をさまざまうかがった。とりあえずのところまで力を合わせて復旧に取り組んできた人たちの力強さを感じた。 またこのような災害への対処に関して、そのおそらく根本的な問題について、当地の一部の人たちと率直に話し合う機会を持つこともできた。
その数日の体験によって、私の中で確実に何かが変わったと思う。それをいますぐ具体的に表現することはできないが、おいおい書いていくつもりだ。
一言でいえば「平和ボケ」してフラフラしていた矢先、ガツーンと活を入れられた、ということ。いまはっきり書けるのは、いまの私がそういう状態にある、ということ。そして、いちばん大事なのは、これをきっかけとする今後の自身の行動、形にしていくことだと思っている。どういう形になるか、それは次第に決まってくると思うが、いまはこの平和ボケを破られた「初心」を忘るべからず。それに尽きる。
06年3月2日
人には、責任がついてまわる。思わぬ所に落とし穴がある。細心に、粛々と事に向かわなければ。
学退先生 3月7日
『易』乾卦の文言伝に云う、「九三曰「君子終日乾乾、夕惕若、厲無咎」、何謂也。子曰、君子進徳修業、忠信所以進徳也。修辞立其誠、所以居業也。知至至之、可与幾也。知終終之、可与存義也。是故居上位而不驕、在下位而不憂。故乾乾、因其時而惕、雖危無咎矣」(乾卦の九三に「君子が終日つとめ励み、夜はおそれ慎むならば、危ういながら罪は免れる」というのは、何か。子はいった、君子は徳につとめて仕事を行い、真心によって徳につとめる。ことばを整えて誠をはっきりさせ、それによって仕事をする。活躍すべき時期を察してことに当たるならば、機微を談ずるにたる。終わりを察して退くならば、義を守ることができる。それゆえ上にいても驕らず、下にいても不満げでないのである。だからつとめ励んで、しかるべき時にはおそれ慎み、危ういながら罪は免れるのである)と。
06年2月16日
自身に厳しく、面白く。
学退先生 2月21日
この言、皐陶の所謂「寛にして栗」(『尚書』皐陶謨)に稍や近し。
皐陶は大禹に九徳を説きて曰く「寛而栗、柔而立、愿而恭、乱而敬、擾而毅、直而温、簡而廉、剛而塞、彊而義、彰厥有常、吉哉」(寛(ゆる)やかにして栗(おごそ)か、柔らかにして立ち、愿(つつ)しんで恭しみ、乱(おさ)まりて敬しみ、擾(したが)いて毅く、直くして温かく、簡(さか)んにして廉(いさぎよ)く、剛くして塞(み)ち、彊くして義(ただ)しく、厥(そ)の常有るを彰らかにす、吉(よ)きかな)と。
06年1月24日
自分のことばかり考えていると心は寒くなるが、人を思いやれば、心は暖かくなる。
学退先生 2月21日 張横渠『正蒙』(中正)に云う、「以愛己之心愛人、則尽仁」(己を愛する心で人を愛せば、それは仁を尽くすことになる)と。然れども殊に知らず、己を愛する事は本にして、人を愛する事は末なりや否や。
精進、精進、また精進。
学退先生 1月26日
これ李白が詩(「山中与幽人対酌」)に「両人対酌山花開、一杯一杯復一杯」と云えるを模して戯れて言を為す。
学退先生 1月24日
『漢書』(卷一百上、敘傳上)に班伯が事を述べて云う、「召属県長吏、選精進掾史、分部收捕、及它隠伏、旬日盡得」(班伯は県の役人たちを集め、気鋭の者どもを選んで、盗賊を逮捕し、隠れている者をも含め、十日ほどですべて捕らえ終えた)と。師古は精進を解して曰う、「精明にして進趨するものなり」と。
仏徒は梵語のviryaを訳するにこれを用いて別に義を立つ。梁の高祖、江革は仏教を奉ぜずとおもい、革に「覚意詩」を賜いて「惟当勤精進、自強行勝脩。豈可作底突、如彼必死囚。以此告江革、並及諸貴遊」(惟だ当に勤めて精進すべし、自ら強いて勝脩を行なえ。豈に底突を作すべけんや、彼の如くんば必ず死囚たらん。此を以て告げん江革、並びに及び諸貴遊に)と云えるは、これなり。事は『梁書』卷三十六、江革伝に見ゆ。
06年1月21日
自分が人について不満に思っている言動を、知らず知らずのうちに、自分も人に対してしていることがある。
06年1月19日
食べていくって難しいことだな……と憂鬱な気分にとりつかれた一日。ところが翌日は、なぜか朝から嬉々としてすべきことに取り組んでいる。憂鬱な気分は、いつの間にか人生の勉強になりましたという満足感に変わっている。
06年1月15日
ワインが好きになったら、飲む量が減った。でも、楽しむ時間は長くなった。
学退先生 1月19日
『論衡』に云う(語増篇)「伝語曰「文王飲酒千鍾、孔子百觚」。欲言聖人徳盛、能以徳将酒也。如一坐千鍾百觚、此酒徒、非聖人也。……。世聞「徳将毋醉」之言、見聖人有多徳之效、則虚増文王以為千鍾、空益孔子以百觚矣」(言い伝えに「文王は酒を千鍾も飲み、孔子は百觚も飲む」という。聖人は徳が立派だから、徳の力で酒を押さえることができるといいたいのだろう。だが、一度の宴会に千鍾や百觚も飲むのは、酒徒であって聖人ではない。……。「徳の力で酒を押さえ、酔わない」という『尚書』酒誥篇のことばを聞き、また聖人に立派な徳がある証拠を見て、「文王は酒を千鍾も飲」み、「孔子は百觚も飲む」などと大げさに言っただけである)。伝語の妄なること、明らかなり。
黄季剛曰く「飲君子要浅斟細酌。用大杯咕嚕咕嚕喝下去、縦使喝得多、算不得飲君子」(飲君子たる者、ちびちびとやらなければいけない。大きなグラスでがぶがぶと飲むようでは飲君子とは言えない)と。語は楊伯峻「黄季剛先生雑憶」(『量守廬学記』に収む)に見ゆ。
管理者 1月21日
ところでこの黄季剛という人物は、近代で五本の指に入るほどの天才だったということだが、大酒がもとで命を落としたそうである……。
ワインを片手に思想書を読むのが、夜のいちばんの楽しみだ。いろんな仕事を片付けた日は特に。
学退先生 2月22日
『史記』大宛伝に、大宛・安息の二地に葡萄酒を出だすを言い、「宛の左右は蒲陶を以て酒を為し、富人は酒を蔵すること万余石に至り、久しき者は数十歳も敗(くさ)らず」と云う。
『三輔決録』が注に、孟達の父、孟他、宦者の張譲に蒲桃酒一斛を遺りて涼州刺史となりし事を載す。『三国志』明帝紀の注に引く(『後漢書』宦者伝の李注もまたこの事を引く)。これ漢人、葡萄酒を重んずるの験なり。
五柳先生に三の楽事有り、すなわち「読書を好む」「性として酒を嗜む」「文章を著して自ら娯しむ」とはこれなり(陶淵明「五柳先生伝」)。酒を嗜みて書を読むとは、心に陶潜を慕えるか。
06年1月13日
今日偶然書き写した言葉、世阿弥云く、「上手にだにもじやうまん(上慢)あらば能はさがるべし。いはむや叶はぬじやうまん(上慢)哉(をや)」(上手でさえ慢心があったら実力は下がってしまう。ましてや、上手に届かない者だったらなおさらのことだ)と。耳どころか体中が痛い。
学退先生 1月16日
『論語』に云う(泰伯篇)、「子曰「如有周公之才之美、使驕且吝、其餘不足觀也已」」(子曰く「もし周公さまと同じくらいの才能があるという長所がある人がいても、驕慢でケチであったとしたら、他に何もいうことはない」)と。
驕りを戒むるの辞なり。
ピアノの練習は、1日休んだら3日分下がってしまうという。論文や文章を書くことも同じ。1日に5分でも10分でも時間を見つけて進めなければ、勘が鈍ってしまう。
学退先生 1月16日
『世説新語』に云う(文學篇)「殷仲堪云「三日不讀道德經、便覺舌本閒強」」(殷仲堪はいった、「三日間も『老子』を読まずにいると、舌のねっこのあたりが、こわばった感じがする」)と、又た云う(任誕篇)「王佛大歎言「三日不飲酒,覺形神不復相親」」(王佛大は嘆いていった、「三日間も酒を飲まないと、肉体と精神とが仲違いしたような気がする」)と。 皆な趣き有り。
黄山谷(《黄庭堅文集》 )曰く「士大夫三日不讀書、則義理不交于胸中(士大夫たるもの、三日も本を読まなければ、心に義理など思い浮かべようもない)」と。
書くばかりでなく、いろんなものを読みあさりたい。
06年1月12日
役に立つかどうかわからないことに熱を入れている。人からはアホと言われる。本人は楽しくてたまらない。
学退先生 1月18日
蓋しこれ鴻蒙の遊なり。『荘子』在宥篇に云う、「雲将東遊、過扶搖之枝而適遭鴻蒙。鴻蒙方将拊脾雀躍而遊。雲将見之、倘然止、贄然立、曰「叟何人邪?叟何為此?」鴻蒙拊脾雀躍不輟、對雲将曰「遊!」」(雲将という人が東方を旅し、扶搖の木の枝を通りかかったところ、偶然、鴻蒙という人に出会った。鴻蒙はちょうど腿をたたいて飛び上がって遊んでいた。雲将はそれをみてあきれて立ち止まり、つったって、「あなたは何者で、何でそんなことをしているのか?」と問うた。鴻蒙は腿をたたいて飛び上がるのをやめずに「遊んでいる!」と雲将に答えた。)と。
書くことをさがしていると見つからないけれど、さがしていなければ書くことなんていくらでもある。
学退先生 3月14日
顧炎武曰く(『日知録』巻二十二)「古人之詩、有詩而後有題。今人之詩、有題而後有詩。有詩而後有題者、其詩本乎情。有題而後有詩者、其詩徇乎物」(古人の詩は、まず詩があってその後に題をつけたが、今の人の詩は、まず題があってその後に詩を作るものである。まず詩があってその後に題をつけた詩は、感情に基づくが、まず題があってその後に作られた詩は、物によって制限される)と。文章は、情に本づくをもって上と為すなり。
だるくて朝からだらだらしている。その時、一本の電話がかかってくる。話がはずんで、なぜかその後はしゃかしゃかと動きまわる。
学退先生 2月21日
王維が詩(「皇甫嶽雲渓雑題」鳥鳴澗)に云う、「人閑桂花落、夜静春山空。月出驚山鳥、時鳴春澗中」(人 閑にして桂花 落ち、夜 静かにして春山 空し。月
出でて山鳥を驚かし、時に鳴く春澗の中)と。
「お子さんがいらっしゃるから忙しいでしょう」と言われる。でも、子供が生まれてからの方が仕事がはかどっている。
学退先生 3月7日
『春秋公羊伝』(隠公元年伝)に云う、「子以母貴、母以子貴」(子は母親のおかげで貴く、母は子のおかげで貴い)と。母子相待の義なり。
「勧学院の雀は蒙求を囀る」の「囀(さえず)る」が、意味のわからない外国語を発音することだと見抜かれたのは太田晶二郎氏。ああ、だから渡来藝能の舞楽にも「囀り」があるんだ。
学退先生 1月16日
『孟子』に云う(滕文公上)、「今也南蠻鴃舌之人、非先王之道」(ところがいま、南方の野蛮人でもずのさえずるような変なことばを使う人が、先王の道を中傷する)と。趙岐は注して曰く「今此の許行は乃ち南楚の蠻夷にして其の舌の惡しきこと鴃鳥のごときのみ。鴃は博勞なり」と。異邦の言を譬うるに鳥声をもってすること、その由来久しきかな。
中国の鳥、「唶唶」「嘖嘖」と鳴くこと、『爾雅』(釈鳥)に明文有り。しかも鳥の類は一ならず、析ちてこれを言わば、すなわち烏の声は「唖唖」にして、鵲の声は「唶唶」ならん(『淮南子』原道訓)。公冶長は善く鳥語を解し、雀の「嘖嘖雀雀、白蓮水辺、有車翻、覆黍粟、牡牛折角、収斂不尽、相呼往啄」(嘖嘖雀雀、白蓮の沼の近くで車がひっくり返り、きびやあわが散らばって、雄牛が角を折り、穀物を集め終わっていないから、みんなで行ってついばもう)と呼べるを聞けり(事は『論語義疏』に引く『論釈』に見ゆ)。雀の声を記して多く入声字を用いる。
これをもってこれを推すに、異邦人の言も亦た「唶唶」「嘖嘖」ならん。
又た鬼の声も亦た「嘖嘖」なり。『録異傳』(『太平広記』巻三百十七に引く)に呉の胡熙の事を述べて曰く、「欻有鬼語腹中、音聲嘖嘖、曰「何故殺我母?我某月某日當出」」(にわかに腹の中から鬼の声が聞こえ、「嘖嘖」という音がして「どうして私の母親を殺した?私は何月何日に生まれるぞ」)と。知らず、日本国の鬼の声は如何?
返し 管理者 1月17日
日本国の鬼の声は、無言、または日本語を以て話すものが多いと記憶する。島国なるゆえか。鵺(頭は猿、手足は虎、尾は蛇のごとき空を飛ぶ怪物)は、トラツグミの声で鳴くと言う。ただし、己の無学によりて、多くの例を挙ぐることを得ず。学ぶべし、学ぶべし。
鵺について一言。猿・虎・蛇は、いずれも十二支に含まれること、注目すべし。観念的に考案された怪物ならん。 (1月17日)
順風満帆だと思っていると転覆するし、修理すると少しは走る。
学退先生 1月16日
老子曰く(第四十二章)「強梁者、不得其死」(強いものはまともな死に方をしない)と。これ「順風満帆だと思っていると転覆する」の旨なり。
『孝経』云う(諸侯章)、「在上不驕、高而不危。制節謹度、満而不溢」(人の上にいても驕慢でなければ、高いところにいても危なくはない。節度をたもちさえすれば、十分でありながらも破綻はしない)と。
案ずるに『孝経』の教うる所は、言うべくして行い易からず、
寧ろ『老子』「身退」の義(第九章)に従いてもってその身を全うせん。 (1月16日)
返し 管理者 1月17日
ここに、老子第九章を補う。
曰く、「持而盈之、不如其已、揣而鋭之、不可長保、金玉満堂、莫之能守、富貴而驕、自遺其咎、功遂身退、天之道」(器を手に持って、いっぱいにしたままでおくのは、やめたほうがよい。剣の刃に焼きを入れて鋭くしても、いつまでもそのまま鈍らないわけはない。黄金と宝玉が、座敷に充満していても、それらを守りつづけることはできない。富と高貴な地位が傲慢さをますならば、破滅をもたらすものである。仕事を終えたときには引退する、それが天の「道」である)と。
小川環樹氏の訳に拠る。
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