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豊前の国(福岡県)赤池町上野(あがの)で作られた陶器。
茶陶が多く 作られた上野焼。遠州七窯のひとつにも数えられ、遠州好みの
茶器によって発展しました。その流れをくみ、薄手でかるいものが多く、
茶の湯の「わび」「さび」の精神と、作り手の感性による「きれい」とが
融合した『上野焼』、気品ある独特の趣が醸し出されます。四百年の伝統
と歴史の中で、現代の感覚を取り入れ洗練された優美な作品に数多くの特
色を発揮しています。
 
歴 史
朝鮮朝鮮の役の際来日した李朝陶工の尊階を細川忠興(三斎)が唐津より
招き、上野の地に開窯させた、尊階は上野喜蔵高国と名を改め、格調高い
茶陶を、献上し続けこれが『上野焼』の始まりとされています。
徳川家茶道指南役の大茶人「小堀遠州」が茶器を作るために全国七ヶ所の
窯元を選定しました。これが遠州七窯です。中でも独特のあたたかみを持
つ『上野焼』は、当時の茶人に大変好まれたそうです。
明治時代上野焼は一時期途絶えてしまったが明治35年に復興されまし
た。
昭和58年には国の伝統的工芸品の指定を受けました。
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餅生地の中にたっぷりのあんこを入れて、鉄板でプレスして焼いてあるお
餅で。表面がカリっと焦げ目がついてて香ばしく、中のあんこも温まって
とろりと出て来る、和菓子好きな人にはたまらない味。大宰府天満宮境内
や参道の店で売られている。
 
歴 史
菅公が謫居されていた際、安楽時の門前で老婆が餅を売っており。公の境
遇に同情して時折この店に迎え、また餅を持参しては公の無聊を慰めた。
公が薨去された時、公の好物であったこの餅を梅の枝にさして霊柩に供え
て送った。この故事にならい梅ヶ枝餅と称して売り出されたが、梅ヶ枝餅
を食うと病魔を防ぐに特効があるというので有名になった。
先日、久しぶりに大宰府へ(お参りのあといつものように大宰府園!)行
った帰りに来れなかった妻への土産に「梅が枝餅」を買った。製造工程が
見れるのだが何件かはオートメーション化されていたのを見て少し寂しい
気がした。
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ところてんよりも歯ごたえがあり、寒天よりも透明感がない博多ならでは
の食品。
ひんやり、つるるんとした食感が夏の食欲をかきたてる「おきうと」(オ
キュートと発音する)。生姜や胡麻をのせて、醤油をかけておいしい。好
みで酢醤油、ポン酢もおいしい、海草なので体にもいい。
原料は「エゴソウ」(おきうと草)と「ケボ」という海藻と、ゼラチン状
に固まる天然成分を合わせて作ります。
添加物や保存料を使用しないので大量生産できない上に保存もききませ
ん。

乾燥おきうともあるそうですが生の「おきうと」のおいしさは出せないそ
うです。海外向け、保存食として売られているだけだそうです。
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地方では筑前煮といわれていますが博多(福岡)では「がめに」と言いま
す。
正月、祝い事やまつり事などには必ず登場する家庭料理で、人参、大根、
里芋、蓮根、ゴボウ、筍、蒟蒻、鶏肉を一緒に鍋で炊きあげ、砂糖と醤油
で味付け、汁が少なくなるまで煮込む。大ざっぱに見えるし見栄えもよく
ないがこれがまたうまい!

博多の郷土料理店で「がめ煮」と言えばあると思います。
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産卵前のメスのスケトウダラの腹からとれた「タラコ」 を塩漬けにし、各
社特製の調味液で味付け、熟成したものです。味付けに唐辛子を使用して
いますので辛いのが特徴です。
一尾のメスの腹には卵嚢が二つくっついて入っています。一つの腹の中に
ある卵だから、二つ合わせて「一腹」と呼びます。
明太子はよくキムチの一種と思われているようですが、実は塩辛の一種な
のだそうです。

歴 史
ふくやの創始者川原俊夫が韓国の釜山で食べたタラコキムチを日本人好み
に改良して発売したのが「明太子」だと言われており、戦後の博多、中洲
の地で、日本で初めて発売されたそうです。
韓国でスケトウダラを「明太(ミョンテ)」といい、日本人はこれを「メ
ンタイ」と呼び、「明太」の子(卵)だから「明太子」というわけです。
また、明太子業界を大きくしたいと考えた川原氏は、製法を惜しむことな
く広めました。
これにより今や博多土産の代表とも言える「からし明太子」は広まったと
いえるでしょう。
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「木うそ」は幸運を呼ぶ神鳥、また天神様の使いの鳥といわれている「う
そ」が木にとまった姿を、ホウノキの一本削りで表現した民芸品です。嘘
を誠にする縁起物で太宰府天満宮の参拝記念として、人気がある。
《県知事指定特産工芸品》

歴 史
ウソ鳥は頭と翼・尾が黒く腰のあたりが白、腹部や背は灰色ですが、雄の
胸は美しい赤いバラ色をしていてきれいな声で鳴くので有名です。「木う
そ」はこの鳥が木にとまっている形を表したもので天満宮の1月7日「う
そかえ」神事に用いられ幸運の守り神としての信仰があり広く皆様に親し
まれています。
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久留米かすりは「備後かすり」「伊予かすり」と共に、日本三大かすりの
ひとつとして全国各地で愛用され、親しまれています。
純綿で素朴なデザイン、丹念に織り込まれた模様と、ていねいに染めあげ
られた藍色がかもし出す素朴であたたかな風合いは、200年も前から受
け継がれているという伝統の技にささえられて現在では、おしゃれ着、バ
ッグ、ネクタイなど幅広く利用されています。

(写真−福岡県伝統工芸品振興協議会様)
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大正から昭和のはじめ頃までは英彦山参拝のみやげの徳利や大型カメ、
鉢、皿、すり鉢などの荒物製品づくりがほとんどだったそうです。
その中でもすり鉢は、劣化せず『小石原焼』のすり鉢は長年使用しても大
丈夫と有名だったらしい。
昭和33年ブリュッセルで開かれた万国博覧会日本館第三部出品でのグラ
ンプリ受賞、昭和50年には通産省の伝統的工芸品に指定される。
生活雑貨としての道を歩みながら、用と美を確立した小石原焼は素朴で温
かいという持ち味をだしているのです。

歴 史
黒田三代目藩主光之が肥前伊万里の陶工を招き、中国風の磁器を伝え、こ
の頃すでに小石原にあった『高取焼』この窯が交流することにより『中野
焼』が形成されていった。
廃藩以後の茶陶高取は、領主の保護はなく、必然的に自立自営を余儀なく
され、明治以降、宗家直径(小石原鼓系)と小石原中野系、福岡西新系
(東皿山・西新系)の三派に分類され、その技法はそれぞれに特色づけな
がら継承されています。
『中野焼』が昭和の時代に『小石原焼』と呼ばれるようになった。
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春だけ(それも一時期のみ)の限定料理で、透き通った小さな白魚を生き
たまま酢しょう油か生卵につけて食べるおどり喰い、卵とじ、茶碗蒸しな
どいろいろな料理があります。三つ葉や椎茸とからっと揚げるかき揚げ
は、菜種揚げとも呼ばれています。料亭などでは結構食べる機会のある料
理です。
白魚(しろうお)はハゼの仲間で海で生活しています、春先になると川を
上って産卵すると死んでしまう年魚です。白魚(しろうお)は2月〜4月
頃まで市内早良区を流れる室見川を上がって来ますが川の環境変化などに
より現在では漁獲量も少なくなり郷士料理店や料亭に行かなければ食べる
こともできなくなりました。
「しらうお」、「しらす」と似ているので同じに見られることもあります
が全然別の魚です。

★「しらうお」(シラウオ科の魚)★「しらす」(イワシの仲間の稚魚)
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千利休の弟子で将軍茶道指南「小堀遠州」の指導を受け、「遠州七窯」の
筆頭に挙げられていることからも、茶陶としての高い地位とその作品の芸
術性の高さは、世界に誇るべきものといえます。
良質の陶土を現在使用して高取焼の古い伝統を守りつづけ、「遠州高取」
の風格を今に伝え、「綺麗さび」の世界を展開しています。微妙な調合で
作られた釉薬を駆使して焼成される茶陶類は、気品に満ちあふれていま
す。

歴 史
筑前国主黒田如水、長政親子が朝鮮の役の際に朝鮮の八山と云う良工を見
出されて筑前に連れ帰られ福岡県鞍手郡鷹取山に開窯させられたのが高取
焼の創始で、高取永満寺窯と称し士分(五十石)に列し御用窯として藩主
に被護されて来ました。
初期の作品を『古高取』と云われ。嘉穂郡合屋の村白旗山窯に移り高取焼
が完成しました。この時代のものを『遠州高取』といい、朝倉郡小石原に
移転してからを『小石原高取』というそうです。
また早良郡、今の福岡市大鋸谷に移りこの時代のものを御庭焼高取と云い
ます。
高取焼は遠州七窯の一つにて今日中興名物として保存されている作品も沢
山あります。
廃藩以後は領主の保護もなく必然的に自立自営を余儀なくされ、明治以
降、宗家直径(小石原鼓系)と小石原中野系、福岡西新系(東皿山・西新
系)の三派に分類され、その技法はそれぞれに特色づけながら継承されて
います。
西新町の高取焼は藩主の命により朝倉郡小石原より移窯し高取焼の技法は
連綿として継承せられ1944年に農商務省により技術保存者として認定
された
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明太子など博多名物をかたどった素焼きのおはじき。
博多三大祭りの一つ「放生会」(ホウジョウヤ)で『博多ちゃんぽん』と
同様に販売される『博多おはじき』が有名で初日の朝8時から売り出され
ますが、それを求めて夜中からたくさんの人が並ぶのです。即売り切れる
ことが常です。

限定品は博多人形師たちが1つ1つ手作りされた素焼きのおはじき。毎年
違うテーマで作られます。
ここ最近ではいろいろな風刺画、風物画が描かれたおはじきも復刻されて
「博多おはじき」として売りに出されている。
露店でも売っているが筥崎宮のものとはちょっと違う。
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福岡県を代表する伝統的工芸品のひとつで、平織は優美華麗な艶やかさ
を、紋織は繊細緻密な織柄と見事な色合いを見せており、博多帯は締めや
すくて締め心地もよく、締める時、また体を動かすたびに「キュッキュ
ッ」と音が出る「絹鳴り」は博多織ならではのものということで博多っ子
たちはこれを「帯が鳴く」と言って、品質のよい博多織の代名詞にしてき
ました。
かつて幕府への献上品として珍重された博多織。その優美さは今なお人々
を魅了し、現在では和装だけでなく、洋装や小物などのさまざまな形で暮
らしの中に息づいています。
 
(写真左−福岡県伝統工芸品振興協議会様)
歴 史
創始者は、13世紀頃に宋の国に渡った博多の商人「満田弥三右衛門」と伝
えられており、宋の国で様々な工芸技術を修得し、博多の人々に伝えたそ
うですが。その中で織物の技術だけは秘伝とし、独自の技術を加えながら
代々伝えていき、子孫の「満田彦三郎」が明の国に渡って織物の技術を学
び、改良を加えて博多織の基礎を築いたとのことです。
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扇、紐、白刃の上で回す博多独楽には、調度品としても新鮮な雰囲気が漂
う。

(博多町屋ふるさと館パンフレットより)
歴 史
1300年前中国より竹製の遊び独楽として伝来、17世紀後半に木に鉄
芯の澄んだ振りの博多独楽が誕生独楽を作る技術と回す技術が発展して独
特の独楽芸が生まれ今日に受け継がれているそうです。博多は曲芸に使用
する曲ごまの発祥の地とされ、そこから博多独楽の名が起こった。
県知事指定特産民芸品になっている。
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ビードロと呼ばれる郷土玩具で、ガラスの先端を非常に薄く膨らませ柄の
部分から息を吹き込むとチャンポンと音がする、壊れやすい物なので扱い
には要注意。筥崎宮の放生会(ほうじょうえ)には欠かせない物に成って
いる。

歴 史
天保時代(1840年前後)福岡の醸造元「小川宇平」が長崎渡りの技術
で作らせ、放生会の露店名物に大ヒットさせたという、昭和初期頃まで博
多チャンポンを参拝者に授与していたが、以降時代の流れの中で廃絶して
いた。
昭和32年に小川勝男さんが筥崎宮の宮司から復元の依頼を受けて、
14年後の昭和46年に「ちゃんぽん」を完成、翌年から復活させたもの
で、ついに放生会の名物玩具になりました。現在でも(たぶんお弟子さ
ん?)作り続けられています。
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素焼きを着色した人形ですが、素焼きを着色するため土のぬくもりを感
じ、きめ細かい彫り込み、美しくも落ち着いた雰囲気をかもしだす感覚は
独特のものであり、これが博多人形の持ちあじ特性と言えるでしょう。博
多人形は美人ものが有名ですが、ほかに武者もの、歌舞伎もの、能もの、
童ものなどがあり、最近ではダイエーホークスの選手もいるほどです。
 
(写真左−福岡県伝統工芸品振興協議会様)
歴 史
藩州から博多に来往した瓦師正木宗七という人がいたって器用で城の瓦を
作る余技に鬼瓦にヒントを得て人形を作り、藩主に献上したのが博多人形
の起こりです。
明治23年「第二回全国勧業博覧会」が大阪で開催され「博多素焼人形」
として作品を出品、褒賞状を授与された際に「素焼」の二字が抹消され
「博多人形」と記してあった、この時から博多人形と言うようになる。
明治33年にパリ万国博覧会に美人物の博多人形を出品し、高い評価を受
け日本を代表する人形として知られるようになりました。
昭和51年には通商産業大臣によリ人形の部では全国で初めて「伝統的工
芸品」に指定され、九州の特産品として名声を博しています。
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刀剣をつくる技術を駆使して、和裁と紙切り用の和鋏を主体に生産してい
る。4寸、5寸、6寸の3種類があり、その切れ味には定評がある。

(博多町屋ふるさと館パンフレットより)
歴 史
約700年前、南宋の帰化人「謝国明」が鋏を持ち帰り唐鋏と称された。
幕末に博多箔屋町の刀鍛冶師「安河内卯助」が鋏製造に取り組み世に出し
た。その後改良され切れ味自慢の和鋏、博多鋏として現在も「博多鋏でな
ければいけない」という愛好家もいるほどである。
県知事指定特産工芸品にも指定されている。
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福岡のラーメン屋はほとんど白濁とした豚骨スープに細めんでチャーシュ
ーと青ねぎと紅ショウガをのせた博多ラーメンです。(豚骨しょうゆもあ
ります)

トッピングのバリエーションとしては辛子高菜やにんにく、白ゴマが入れ
放題となっている店が多いです。
好みとしてはチャーシュー(博多は味付き湯で豚肉)が面が見えないほど
たくさん載ったチャーシュー麺。
やはり雰囲気も楽しめる屋台が人気でその場で食べた方が美味しいけれど
おみやげ用のパックも最近種類が豊富です。
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鶏ガラのスープに、鶏肉と白菜、春菊などの野菜を入れる博多ならではの
鍋料理です。明治のころからの名物で、福岡には専門店がたくさんあるの
で、一年中いつでも食べれます。

水から炊き始めて作る鍋料理のために「水炊き」と言うらしい。
スープは骨付の若鶏を煮たすまし仕立て。(鳥ガラを炊いてつくる濃厚ス
ープや白濁としたものもある)骨付の鶏肉、キャベツを入れてさらに季節
の野菜が添えられる。白菜は使われない。(スープが薄くなるため)
伝統の味は現在も守られている。水炊きはれっきとした福岡生まれであ
る。長崎が発祥の地とする説があるが、発案者が長崎出身だったための誤
解のようです。
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少し前に全国的に流行った「もつなべ」も福岡が発祥の地で、流行が終わ
ったいまでも福岡にはたくさんの専門店があります。
醤油ベースのスープでもつを煮込み、キャベツやニラなどたっぷりの野菜
を入れて食べます。残ったスープもチャンポン麺を入れて、最後はおじや
で最後までいただきます。

もつなべを最初に作ったのが「万十屋」の初代女将の松隈ハツコさんとい
われています。
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漆塗りと金箔を念入りに張った荘厳華麗な仏壇楼閣型の仏壇で、通商産業
大臣指定伝統的工芸品に指定されており、独特の風格をもつことで知られ
ている。
八女福島仏壇は江戸時代、指物大工の「遠渡三作」が夢で見た華麗な仏壇
を模して作ったのが始まりといわれており。
地元でとれる杉、桧、漆を使用して発達し、旧福島町の町名をとり、八女
福島仏壇と呼ばれ、九州の仏壇製造の源流となった。
製造が分業制というのも特徴の一つで、それぞれに職人の高度な技術と伝
統が受け継がれ、八女福島仏壇の信用となっている。

(写真−福岡県伝統工芸品振興協議会様)
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八女提灯は住吉、御殿丸、足のついた行灯、廻転行灯などと種類が多く
「経済産業大臣指定伝統的工芸品」、「知事指定特産工芸品」にも指定さ
れている。
キキョウやススキなどの絵を描いた盆提灯が主流だが、装飾用など用途も
多様化し、絵にも新しい感覚を取り入れている。
200年ほど前に八女市の「荒巻文右衛門」が山茶花を描いた盆提灯を作
ったのに始まるらしく、50年ほど後に「吉永太平」が竹骨と張紙を改良
して山水花鳥の絵を描き、夏の夕涼み用まで拡大して現在まで愛されてき
て最近では、岐阜と並ぶ一大産地となり、完成品を売るだけでなく「火
袋」を岐阜に出荷している。

(写真−福岡県伝統工芸品振興協議会様)
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