人間の声

 隠上 荒人 作


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祐巳は自分の本棚をじっと見つめた。
全く無整理に見える本棚の本の並びは、しかし、実は読んだ順という秩序に従っている。
だから本棚の最初の方は絵本が多くて、最後の方になると文学的要素が多くなってくる訳だ。
一時期乱読していた頃があって、本棚の真ん中を見れば、科学もライトノベルも漫画も文学もめちゃくちゃに並んで、祐巳は腑に落ちる。
この本棚は、確かに私の本棚だ。
私は無知で、賢くないけど、歩いていくことは出来る。
人間だから。



『人間の声』



福沢祐巳が右腕に痛みを感じたのは深夜だった。
彼女は急いで眼を覚まし、なにかが右腕に潜り込んでくるのを感じる。表皮がもりあがって蠢き、彼女の中心めざして進むそれがはっきりと見えた。
祐巳は取り乱す、慌てて飛び起きる、腕を押さえてもそれは腕を上ってくる、怖い、気持ち悪い、生理的な恐怖感。
適切な何かを祐巳は必死で探す、結果、彼女は寝ぼけた頭で間違った判断をする。
彼女が手に取った、花を活けていた剣山は、適切とは言えない。
しかし、何故祐巳はとっさに剣山をとったのか?
表皮の下を蠢いて進む生き物に、剣山がどのような役にたつというのだろう。
だが祐巳はこの剣山を使用することに最早確信をもっていた。むしろ、適切なものを掴んだ、ラッキー、という想いさえある。
そう
彼女は、この気持ち悪いものを殺そうと思っているのだ、剣山で。
しかし、それは自分を傷つけることになる筈なのに、祐巳は自分が傷つくことに鈍感だった。
寝ぼけた頭。
咄嗟につかんだ剣山。
自分の傷つきに鈍感な精神。
間違った条件が揃ったので、間違った結果が生み出される。

祐巳は、自分の腕に剣山を振り下ろした。

血が吹き上がって天井に届く、彼女の振り下ろす勢いには躊躇いというものがなかった。死ぬ気か、と言われても文句はいえない。
この段階で、祐巳はようやく寝ぼけている状態から覚醒する。
そして目の前の惨状(主に腕から吹き上がる赤い噴水)を見て一言漏らした。
「……うん」
なにがうんなのか全く分からないが、彼女は部屋のドアを開けて階下に降り、119番を押した。
向こうが電話に出たので、祐巳は考えながら発言する。
「えーと、怪我人です」
場所や、怪我の程度を聞かれる。祐巳は血だらけの腕を見た。福沢家の人間は誰も起きてこない。
「住所はM町の3番地で、福沢って家です。怪我の程度は、えーと、剣山で腕を深く突き刺した状態です」
「怪我をしているのは誰ですか?」
祐巳はこの質問には余り迷わずに答えられた。
「えーと、福沢祐巳、私です」
電話を切ると、ようやくお母さんが起きてきた。
「おはよう」
そして祐巳の腕を見るなり失神した。



 1 プロローグ



天使は形をもたない。
人間を監視し、罪を裁く厳しい天使が悪魔の起源だという。
そしてそもそも、天使は形をもつものではなく、後世の人間が羽の生えた人間として描いたに過ぎない。

 それは、空から降ってきた。

人間の体内に寄生し、周囲の細胞を取り込み、のっとってしまう生き物。
寄生獣。
祐巳の街にも、それは降り始めていた。


「まったく、この子ったら馬鹿ですいません。寝ぼけて自分の腕をさすなんて、ほんと、申し訳なくて、祐巳ちゃんったらのんびりした子になって、誰に似たのやら」
病院で医者にまくしたてる母に祐巳は言った。
「お母さんに似たんだと思うよ」
「ふん、祐巳ちゃんったらそんな憎まれ口を叩いて。お母さんをこんなに心配させといて」
確かに母は、物凄く祐巳を心配していた。
当然の結果ではあるけれど。
「ごめん、お母さん」
「でも、痕が残らなくてよかった、祐巳ちゃん、女の子なんだからね」
そう、あれほどの怪我だったのに、もう影も形もない。
少し、おかしいな、と祐巳は思ったけれど、治ったものは治ったのだ。普通は気にしない。
祐巳は家に帰る。
そして部屋でテレビをつけながら本を読んでいると、うとうと眠ってしまった。

起きたら朝で、テレビがつけっぱなしで、何故か百貨辞典を右手で持っていた。
よく分からない。いつの間に百科事典?
祐巳は、何故かいつもより体が軽く感じる。ドアを開けようとすると、ドアノブを引き抜いていた。
「……」
穴の開いたドア。
「あれ?おっかしいなあ?」
どうしよう。たぶんお母さんに怒られる。でもでも、これってドアが古くなってたせいだよ絶対。
「……」
ドアノブをドアに差し込み、なんとなく最初からこんな感じでしたよ?という外観にしてみた。
「…うん、これで、いいかな?」
そのまま学校へ行く準備をする。

寄生獣は空から振る卵から蚯蚓状の生き物として生まれ、人間に体内に入り、周囲の細胞を食べて頭部になりかわる。
脳を食べる時に情報を摂取し、自在に変形する寄生獣の細胞は、筋肉の機能と脳の機能と骨の機能を全て果たす。
そしてそれは、リリアン生の家にも。


「瞳子さん、どうしたの、浮かない顔して」
「浮かない顔?これが?」
瞳子は無表情に敦子を見ている。その目には感情はない。
そうかと思うと、不意に満面の笑みを瞳子が浮かべた。
「これなら、元気だろう?」
「なあに?役作り?演劇部って大変ね」
「…」
また瞳子は無表情に戻り、敦子に言った。
「そうだ、今日、一緒に帰らないか?敦子さんと行きたいところがある」
「?いいよ」
瞳子は空腹感と、それが満たされる可能性を感じた。


「祐巳さん、そんなに足が速かったかしら?」
体育の授業を終えて、祐巳は照れ笑いを浮かべる。
「今日は何だか調子がいいんだ。えへへ」
確かに調子が良かった。色んなものが集中すると止まって見えるし、走るのも跳ぶのも、とにかく体が軽い。
なんだか驚くべき運動の才能に目覚めちゃったかも!
「今日が体力測定だったらきっと凄いのになあ」
祐巳はそう思いながら制服に着替え、一人になって歩き出すと、不意に声が聞こえた。
「…君…警告…ある」
「えっ?」
周囲を見ましても誰もいない。いつもの中庭。
「校舎の…陰」
声は自分のすぐ傍から聞こえた気がしたが、祐巳は声が指示した、校舎の陰へと入る。ここは死角になって誰からも見えない。
「大声は出すな。いまだ、私は日本語が不自由かもしれないが、冷静に聞いてくれ」
祐巳の右手が、勝手に動き出した。
そして祐巳は見てしまう。
自分の右手に口がつき、それが喋っているのを。
周囲に悲鳴が響き渡った。
「大声は双方のためにも出すべきではない」
「だって?!だって!?私の右手!?」
「君は最近、右手に怪我をして入院した」
「口が、唇が、歯が!?妖怪!?」
「?妖怪とはなんだ?」
「手の目とか…手の口!?」
一人の生徒が祐巳の狂乱ぶりを見つけた。
「どうしたんです紅薔薇のつぼみ?」
祐巳の右手が答えた。
「なんでもない」
「私の声!」
「声がどうかされたんですか?」
今度は祐巳が答える。
「な、なんでもないよ」
生徒は不思議そうな顔をしながらも去って行く。
「いったい、あなた、なんなの?」
「我々は人間に寄生する生物のようだ」
「ようだ?」
「正確な情報は少ない。少なくても百科辞典にはのっていないし、メジャーな生き物でもない」
「どうして、私に」
「君が私の幼生体に剣山を叩き込んだ。頭を乗っ取れ、という本能の命令は覚えているから、本来は頭部を乗っ取る生き物なのだろう、我々は」
「あの日、私の腕に?」
「そう。しかし剣山の攻撃で、腕を乗っ取った私と、千切れて全身に巡った私に分かれてしまった。とりあえず、私は右手の細胞を全て取り込み、右手に寄生している」
こんな生き物は聞いたことがない。というか、新種としか思えない。
人間以外の知生体なんて、もしも発見されていたら、それはとんでもないことだ。
「我々の細胞は優秀だから、君の全身に巡った細胞は、君に高度な運動能力を与えている筈だが…自覚はないのかな」
「そういえば、体が軽い」
「君にしたい警告は、余り無造作に運動能力の向上を周囲に見せると、不審に思われる可能性があるのと、私の存在と、仲間の存在だ」
祐巳は頷く。
「どうやら我々は新種の生物であり、私の存在がばれたら、君も私もモルモットにされる可能性が高い。私はそのような危険が迫ったら、どんな手段もとるつもりだ」
「うんうん」
「…意味が分かっているかな?」
「どういうこと?」
「私の存在が露見したら…たとえば、共同に生活している家族であろうとも殺させてもらう」
「そんな!」
「安全のためだ。君はこの条件を飲まなければならない。私は君から離れることが出来ないからだ。大体、君だってモルモットになりたい訳じゃないだろう」
祐巳は、自分の右腕を切断することを考えた。しかし、それはとんでもなく困難なことに思える。自分で自分の腕を切断。まだそこまで、せっぱつまって考えることが祐巳には出来なかった。
「うーん、要するに、みんなにバレないようにしたらいいんだよね」
「そうだ」
出来ないこともない、のかな?
「やってみる」
「非常に助かる」
「これからよろしくね」
そう言って祐巳は自分の左手で自分の右手を握った。変な感じだった。
「変な生き物だな、人間は」
「えー?なにが?」
「今の行為は、どういう意味なんだ?」
「握手だよ?親愛の証」
「ふむ、他の動物とは違う生態のようだ。学ばなければならないことが多いな」
祐巳は色々と聞きたいことがあったが、もうすぐ授業が始まるので移動する。
「みんなとお話したりするから、静かにしててね。ばれないように」
「無論だ。そんなヘマはしない」
そうして、祐巳は『仲間』のことを聞き忘れた。


「瞳子さん、どこへ行くんですの?もうずいぶん大通りから離れてます」
「そうね」
そうだ、充分な距離を大通りから離れた、と瞳子は思う。
寄生獣は、胃や腸や腎臓などの、消化器官を持たない。だから人間に寄生し、そこから栄養を得るしかない。
そしてその主食は…
「もう、充分離れたわ」
瞳子の頭部が変形する。肌色の肉塊、それは巨大な口に変形し、形をうねうねと変えながら敦子の上半身に噛みついた。
ぶつ、ぶつ、と一瞬で何かが引き千切れる音がする。敦子の下半身だけが、血を吹き上げながら立っている。
巨大な口と化した瞳子の頭部は、くちゃくちゃと敦子を咀嚼する。
彼らの主食は、人間だ。


「お姉さま、一緒に帰りましょう」
祐巳は祥子と並んで歩く。祥子の左側にたっていた祐巳は、手を繋ごうとして、やめてしまう。
「どうしたの、祐巳?」
「いえ、えへへ」
誤魔化した笑いをしながら、祐巳は祥子の右側に移動して、左手で祥子と手を繋いだ。
「変な子ね」
「お姉さまと左手で手をつなぎたかったんです」
「どっちの手でも一緒じゃない?」
「ええ、そうなんですけど…」
不意に右手が動いて、祐巳の耳を抑えた。
「そのまま、平気な振りをして聞いてくれ」
祥子が怪訝な顔をする。
「どうしたの?祐巳?」
「いえ、なんでもないです」
「仲間だ。近くにいる」
向こうから瞳子ちゃんが歩いてくる。
「間違いない、そいつだ。向こうにも気付かれた」
祥子が瞳子に声をかける。
「どうしたの?こんな時間に校舎の方へなんて?」
祐巳は思わず瞳子と祥子の間へ割って入っていた。
「教科書を忘れて」
と無表情に瞳子は言った。
「瞳子ちゃん、最近元気ないね?」
と祐巳は無理に笑顔をつくる。
「自然な表情。大分人間になれているな」
瞳子は、祐巳を寄生獣だと勘違いしている。
「昼間にでも、また」
そう言って瞳子は校舎へ戻って行く。
祐巳は、どっと汗が出てくるのを感じた。あの瞳子ちゃん、まるで、まるであれでは…
右手が未だに耳を塞いでいる。
「祐巳、我々は同属の脳波を感じ取ることが出来るのだが…」
右手は淡々と告げた。
「奴が出していた脳波は、満腹感だったぞ」


家に帰って自室に篭り、ようやく祐巳は右手とじっくり話す機会を得る。
「たくさん、聞きたいことがあるんだけど」
いまや右手は形を変え、触手のように長く伸びて先には目がつき、唇があり、机の上に立っている。
「なにかな?」
「えーと」
いっぱいありすぎて、祐巳は疑問を上手くまとめることが出来ない。
「その。どういう生き物なの?貴方達、なんだか、私の知らないことが一杯ありそうなんだけど、同属の脳波を感じるとか言ってたし」
右手はにょろにょろと形を変えながら、口を開いた。
「約300mの範囲なら、同属の出す信号を感じ取ることが出来るし、こちらも出すことが出来る。一種の脳波も感じ取れる。それで相手の感情が分かる」
「便利だね」
「そう、互いの存在が分かるから連絡が取りやすい、普通はね。ただ我々は事情が違う、脳に寄生していない私を、相手がどう捕らえるかは予測がつかないところだ」
「普通は頭に寄生して、どんな形にでもなれるんだ。凄いなあ」
「そう、我々は消化器官がないから、血液から養分を取る形で、人間の体が必要になってくる。君が食事をしないと、私も飢える訳だ」
「ふうん。そういえば、どうやって日本語覚えたの?」
「この部屋の本とテレビだ。百科事典もあったしね。病院での生活もなかなか勉強になった」
「そんな短期間で!?凄くない?」
「我々は、そういう知識の吸収に関しては優秀なのかも知れないね」
「あれ?」
そこで祐巳はある事実に気付く、ワンテンポ遅い。
「ちょっとまって、脳に寄生するんだよね?」
「正確には頭部をまるごと乗っ取り、人間の頭脳の代わりを果たす」
「瞳子ちゃんは、乗っ取られてたってこと?」
「そうだよ」
「じゃあ、元の瞳子ちゃんはどうなっちゃったの?」
「死んでるよ、当然」
「だって、だって、出会ってすれ違ったじゃない」
「でもあれは、君の知る瞳子という子ではなく、我々の同属だ」
「そんな…」
上手く理解できない。
明日、ちゃんと瞳子ちゃんと話さなきゃ、と祐巳は思った。


「待て、祐巳、会う前に幾つか注意事項がある」
「なんで?瞳子ちゃんに会うだけだよ」
祐巳は瞳子が中庭にいると聞いて、探して歩いている。
右手は、信号を校舎の裏に感じたので、祐巳は人気のない校舎の陰を目指す。
「相手は、君を完全に同属だと思い込んでいる。右手だけに寄生しているとは予測していない」
「でも、それはまあ、かまわないでしょ」
「それと、私は違うので確証がないから言わなかったが、おそらく我々の…寄生生物の主食は」
祐巳は校舎裏に足を踏み入れた。
「よく来たな」
「瞳子ちゃん?」
「どうなってる、通常とは違うな、お前」
祐巳の右手が形を変えた、目と口ができ、触手のように伸びる。
「私は彼女の右手に寄生している。彼女の脳は人間だ」
「なにっ!」
「瞳子ちゃん、瞳子ちゃんじゃないの?」
瞳子は興味をなくしたように、校舎の陰から出るために歩き出す。
「食事のことで、協力を得られるかと思ったが、脳を乗っ取れなかったような落ちこぼれに用はない」
瞳子はそのまま去って行った。
右手が言う。
「やれやれ」
「いま、馬鹿にされなかった?」
「馬鹿にされても、失うものはない」
「怒らないの?」
「失うものがないのに、怒ったりはしない。人間とは感情のあり方が我々は違う」
「あれは、瞳子ちゃん、なのかな」
「何度も言うが、君の知っている瞳子ではない。それと、やはり、今の会話で確信した」
祐巳の右手は言う。
「寄生生物の主食は、人間だ」


瞳子ちゃんは、夜な夜などこかで遊んでいるという。
それはつまり、毎晩、誰かを食い殺している。
瞳子ちゃんが、人を殺して…
私は、どうしたらいいのだろうか。
「止められない?」
「君は、食事をやめることが出来るのか?」
出来ない。
出来る訳がない。
「私、瞳子ちゃんを止めたい」
「お勧めできないね。危険だ。わざわざ危険な目にあう必要はない」
「だって、瞳子ちゃんが人を殺してるんだよ?」
「世界中のどこかでは、今日も人が人を殺している。我々の食事だって、大したことはない」
「そうじゃない!」
そうじゃないんだ。
目の前で、関わったなら。
人間なら。
人間なら…!
「瞳子ちゃんを止めよう、300mに近づいたら分かるんでしょ」
「それはそうだが、君は彼女を殺すつもりなのか?止めるにはそれが一番手っ取り早い方法だが」
「人間以外を食べて、生きてもらうの」
「そんなことをして、奴に何の利益が?君は今日から一切肉を食べるなと命令されて、いきなり従えるのか?」
「そうだけど…」
黙って待ってるなんて、できる訳がなかった。
祐巳は瞳子を探しに夜の街を駆ける。リリアンの制服のままで。

瞳子は駅前で制服のまま立っている。
それだけで、男が近寄ってくる。
簡単に釣れる餌だ。
「一緒に遊びにいこうよ」
「いいだろう」
できるかぎり、早急に暗がりへ移動して、食事をして、逃走する。
日課のようなものだ。
「ねえ、誰も来ないところへ行きたいわ」
「え、マジ?どこがいいかな」
男と一緒に暗がりへと向かって行く。
おそらく、公園だ、何回か食事をしたことがあるから知っている。
夜の公園、いくつも暗がりが出来、何人かの人間が交尾している。
「あっちの茂みにいかない?」
「ほんといいの!?すげえ積極的」
2人で暗がりへと向かって行く。
もう充分だ。
瞳子の頭部が変形する。
「え?」
男は悲鳴を上げる間もなく、頭を食いちぎられた。
瞳子は男の死体を貪りはじめる。
腕を千切り、内臓をくわえ、足を齧る。
バラバラの、ひき肉のような死体になっていく。
「!」
瞳子は信号を感じて食事を中断する。
近い。
がさがさと茂みを掻き分ける音がした。
そして祐巳は見てしまう、ひき肉の死体と、異形の存在を。
「あの制服、君がいうところの、瞳子だな」
右手は冷静に相手を見ている。食事は既に終っている、どうするかは祐巳に任せるしかない。
祐巳は初めて見る、余りにも酷い死体にショックを受けて、膝をついた。
「酷い…」
「何をしに来た」
「どうして、人を食べるの?」
「なんだそれは、どういう意味だ?」
「そっか」
祐巳は悟る。この生き物は、我々とは違う。
どうして牛や豚や魚を食べるのか、とたずねられても、困ってしまうのと、今の瞳子の反応は同じだ。
彼らが人間を食べるのは、自然なことなのだ、彼らにとって。
それを、理屈や、言葉で、止めることなど…
「ねえ、あなたは、瞳子ちゃんなの?」
「瞳子?名前など、どうでもいい」
内臓がはみ出て、肋骨がむき出しの死体、顔の皮と眼球が茂みにひっかかっていた。
血の匂いが満ちて、肌色の肉塊の瞳子の頭部は、現実とは思えない姿だった。
「ねえ、人間を食べるのを、やめてほしいの」
まっすぐ目的を言うしかない。
瞳子は思った。こいつは、何を考えているか分からない。人間の脳だ。危険だ。
右手はそれを察知する。
「む…殺気」
変形した瞳子の頭部、触手が伸びて、その先端が刃と化す。
ひゅっ、という風を切る音。祐巳の右手が尋常ではない速度で変形し、刃と化してそれを受け止めた!
キィン、という高い金属音が響く。
「祐巳!駄目だ!こいつはやる気だぞ!」
「そんな…」
瞳子の頭部は二本の触手に変化し、さらにその触手の先端が二つに別れた。
襲い来る四つの刃!
「祐巳!さがれ!」
祐巳の右手も四つに分かれて瞳子の触手を迎え撃つ。
深夜、公園での剣戟、素早く打ち、打ち返す、断続して響く金属音。
目の前で展開する光景が恐ろしくて、祐巳は逃げ出した。夜の公園を失踪する。
「よし、それでいい、体勢を立て直す。冷静に聞いてくれ、祐巳」
「わたし、わたし…!」
「冷静に聞いてくれと言ってるんだが…ふむ。今から、我々の弱点について話す。我々の弱点は二つ、心臓と、首だ」
「瞳子ちゃんが、化け物に…!」
肌色の、不定形の、怪物…!
「人間でも、血液が脳に回らなくなれば、たちまちに死んでしまう。我々も同じだ。よって心臓をつぶして血液の循環を止めれば、たやすく倒せる。同じ理由で、首を切断すれば、本体と離れ寄生部分は死滅する」
「瞳子ちゃんを殺そうって言うの…!?」
「君は瞳子ちゃん瞳子ちゃんというが、あれが人間に見えるのか?」
祐巳が思う、彼女は学校では瞳子ちゃんだった。今がたとえ怪物でも、彼女を殺せば、学校に瞳子ちゃんは二度と現れない。
人間が誰かというのは、その社会性…周囲からの定義で決まるのか、それとも、本質で決まるのだろうか。
「でも、社会的には、瞳子ちゃんだわ。社会的に、それを、抹殺して…ねえ、瞳子ちゃんが瞳子ちゃんであるかどうかは、社会が決めるのかな、それとも」
「私はそんな人間のルールは知らない。それは人間が勝手に決めたらいい。問題なのは、あれが私達を殺すつもりで、また、君の生活範囲の中にあれが居住していることだ」
「私は…」
茂みの中から、リリアンの制服を着たそれが現れた。
頭の代わりに、四本の触手を持つ生き物。
「先回りされたが、冷静に対処すれば問題ない。寄生部分は人間の肉体の潜在能力…100%の力を発揮できるが…」
祐巳は、せまってくる触手がハッキリ見えた。一歩退いてかわす。
「祐巳も負けてはいない」
祐巳の右手が刃と化し、切り合いが再び始まる。
「祐巳!よく見てかわせ!君ならできる!」
瞳子の刃が祐巳のすねをかすめた、血が流れる。
祐巳はようやく、死の恐怖を感じた。
さっき見た、むさぼられた死体。
血の、匂い。
「うっ」
「落ち着け!心拍数が上がっているぞ!」
「でも!」
右手の一閃が瞳子の触手を二本切り落とした。瞳子の足をも切り落とす。バランスを崩して瞳子が倒れた。
「勝った!」
「待って!ほんとに、殺す気なの!?」
「それ以外の方法はない!」
祐巳の右手が、瞳子を切り刻んだ。
首を切り落とし、心臓を突き刺して、体から取り出して放り投げる。
自分の右手が…!
瞳子ちゃんを殺した…!
「逃げるぞ、ほっておけば人が集まってくる」
「…私は」
祐巳は逃げ出す。走りながら、すねが痛むのに気付いた。
瞳子ちゃんが私につけた傷。でも。
「あれは瞳子ちゃんじゃなかった。もう、瞳子ちゃんじゃなかったんだ」
「そうだ、あれは、われわれの同属だった」
でも、でも。
「ねえ、きみ」
祐巳は、かつて瞳子にかけようとした自分のロザリオを握り締める。
「なんだ」
「名前がないと不便だね」
「名前なんて、どうだっていい」
「じゃあ…右手だから、ミギーでいい?」
「なんでもいい」
祐巳は言った。
「ミギー、私は、瞳子ちゃんのこと、妹にしたかったんだ」
祐巳は自分が泣いていることに気付く。
「妹に、したかったんだよ」
ミギーは、その言葉には答えなかった。



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