ドイス「K]・2006年07月の日記(青年海外協力隊を終えて)
2006年7月25日(火)
モザンビーク共和国で、2年間の協力隊員としての活動を終え、2006年7月4日に日本へ帰国しました。
本当なら、活動の最後のほうの記録なんかも書きたかったのですが、体力が持ちませんでした。
しかし、思ってもいないほど、最後はキレイに終わることができました。
2年間、私を支えてくれた、日本の家族、友人、JICA関係者の皆様、またモザンビークで、公私に渡って支えてくれた日本大使館、JICA関係者を始めとする在留邦人の皆様、特に同じ青年海外協力隊員の皆様の存在なしでは、この2年間というのは存在していなかったと思います。
直接お礼を申し上げることができなかった皆様、失礼ですがこの場をおかりして、御礼の挨拶をさせて頂きます。
本当にありがとうございました。
そして、共に生活をし、仕事をしてきたモザンビークの人々には、大変迷惑をかけられ、エライ目に遭いましたが、それも2年間の素晴らしい記憶として、この先ずっと私の心の中に生きて行く事だと思っています。
ありがとう、モザンビーク。
ありがとう、モザンビーク人。
ありがとう、モザンビークの大きな大地。
大陸に由来するものなのか、気候によるものかはしらないけど、ゆったりとした時間感覚。おおらかな性格。耐えない笑顔に、人懐っこい人々。
日本ではなかなか見られないような、子どもの笑顔。そして逞しさ。
いつでも健康のこと、家族のことまでもを気にかけてくれる、挨拶の言葉。道を歩けば、有名人に間違うほどの「こんにちは」の声。
ナマーシャの滝に水はないけど、旅をすれば、美しい海岸に、壮大な大地。
挙げればキリが無いほど、いいところはいっぱいある。
でも、 2年間、モザンビークを心から好きになることは結局できなかった。
なにを言っても、根性のないことばっかりを言って、調子のいい事ばっかり言って、結局はやろうともしないモザンビーク人達にうんざりしてきた2年間。
「バカヤロウ」と罵り続けた2年間。
ロクでもないことばっかりしか、思い出せない。
この2年間で、いったい自分は何ができたんだろう。
隊員の要請内容にはある程度、応えたつもりではある。
でも、一番伝えたかったことは、伝えることはできなかった。
正直者になれ。
アホでもいいから、努力をしろ。
知らないこと、できないことは恥ずかしいことではない。
知ろうとしないこと、前に向かって歩こうとしないが恥ずかしいんだ。
やれば、できるだろうが。
「おれ達は貧乏だ」
「おれ達は遅れているから」
「金をくれ」
「援助をくれ」
そんな言葉を何百回も聞くたびに覚えてきた変な寂しさ。
・・・自分達は、ダメなんだ。・・・
・・・モザンビークはダメなんだ。・・・
・・・モザンビーク人ではダメなんだ。・・・
多くの国民が自国に、自分に自信を持てない。
中学生の口から、
「モザンビークは遅れているから。何もないからダメだ」
「早く外国に出て行って住みたい」
そんな言葉が出てくるのは、健康な国の状態ではないと思う。
学校の先生の口から、
「モザンビークは貧乏だから、金持ちの国はお金を出すのが当然だ」
そんな言葉が出てくるのも、正常な国の状態ではないと思う。
援助をもらうのが当たり前。
そんな考えを少しでも見直して欲しかった。
モザンビーク人が悪いと書いているわけではない。
ヨーロッパによる、植民地支配。人間扱いされなかった植民地時代。
独立を果たし、内戦終結後には、各国の援助合戦。
先進国が、国を潰して、また先進国が「開発」という名を使って支配している。
周りの国によって、いじられまくって、金をちらつかされては、誰だって、正常な状態ではいられないだろう。
独自の足で歩いていこうとする精神を持てないのは、当然の結果なのかもしれない。援助依存の精神を培ってしまうのは、当然かもしれない・・・
また、援助が要らない。と言うつもりはない。
しかし、各国の援助合戦、外交戦略の道具にされているように見えなくも無い。援助を必要としている人に、必要なものを、届けて欲しい。
食うこともままならない人。
水を飲むこともままならない人。
病院に行く事もままならない人がたくさんいる。
そんな明日をも保障されていない人々に、人道的な視点から救いの手を差し伸べるのが、援助の原点のはず。
そのことを将来に渡って、保障するために、日本はODA予算を使って、JICAが農業を教える人、井戸を掘る人、教育に携わる人なんかを送っている。
まだまだモザンビークには、「食うこと」も満足にいかない人々が山のようにいるのは事実。毎年、何万人、何十万人という国民が栄養不足で亡くなっている。
一方で、GDPだか何だかしらないけど、そんな数値は毎年10%も上昇しているモザンビークはアフリカの優等生だとかも言われている。
実際は、各国からの援助額が国家予算の半分を占めている、瀕死の状態だ。
援助なしでは生きていけない、モザンビークが出来上がっている。
しかし、「食うこと」がある程度保障されている人が多いのも事実。
多くの隊員が入っている「学校教育」なんていう場所は、食うこと、生きることがある程度保障されている人の対象にしかならない。
そこで、その人たちが将来の国づくりの主役になるという意識を持ってもらわなくてはならない。
人材育成というのは、そういうことではないだろうか?
技術を伝播すればいい、というだけのものでは、ないはずだ。
だから、上に書いたようなことを伝えたかった。
やれば、できるだろうが。と。
カンニング。欲しいものがあれば、すぐに盗む。
おれの顔を見るたびに、「金をくれ」
「バカヤロウ」と叫び続けた2年間、結局上手く伝えることはできなかった。
けん玉を通しても、真面目に頑張ることを知って欲しかった。
結果は・・・2年間で100本のけん玉が盗まれた・・・
上手くいったこと、自分の期待や予想通りに事が進んだことなんて、これっぽっちも思い出せない。
2年間、最後の活動。
フラービオと共に日本に帰ってきてのワールドオープンけん玉大会。
日本行きが決まってから、毎日毎日、遅くまで日本語の勉強とけん玉の練習を続けるフラービオ。
けん玉を始めて、学校をサボることも、試験中にカンニングすることもやめたというフラービオ。彼の人生21年間で、一番頑張った時期だったはず。
毎日、眠い、眠いといいながらも、練習と勉強を続けるフラービオ。
なんとしてでも、2人で優勝を掴みたかった。
彼に、最高の思い出を作って欲しかった。
けん玉を通して、ゆるぎない自信と誇りを身につけて欲しかった。
2007年7月9日 第5回ワールドオープンけん玉大会
結果:優勝 (詳しくはこちら→工事中)
フラービオのお陰で、モザンビークを、モザンビーク人を少し見直せた。
フラービオのお陰で、モザンビークの全ての思い出が、キレイになった。
フラービオのお陰で、モザンビークを好きになった、、気がする。
ありがとう、フラービオ。
そんなフラービオの日本滞在記を簡単に載せました。。(工事中)
