「耳垢と抗がん剤」

札幌医科大学医学部耳鼻咽喉科教授  氷見徹夫

 北鈴会の皆様、いかがお過ごしでしょう。本年も会員の皆様は、脇坂 勉会長の下、さらに活発な活動をなされていると拝察申し上げます。また、新しい会員の方々をご指導いただいております皆様にも深く感謝申し上げます。
 さて、両親から受け継いだ遺伝的な特徴は、新しいDNAの組み合わせによって決定され、顔つきや体つきもこの遺伝的形質を反映しています。分子生物学が発達したおかげで、両親から受け継いだDNAを解析することで、薬の効き加減や病気になりやすいかまで調べることが可能な時代がすぐそこにまできています。実際にある種の癌にかかりやすい遺伝子を持っているかどうかを知ることができるようになってきています。しかし、これらの解析はまだまだ複雑で、一目見ただけで「あなたはこうなります。これがいい薬です」などと断言できるわけではありません。
 遺伝に関連して話題にのぼるものの一つに、血液型があります。遺伝と関係なく、血液型による性格分析について話が盛り上がった経験を持った人も多いでしょう。しかし、耳垢(みみあか)にも血液型と同じく「型」があり、決まった法則で遺伝します。
 耳垢は、カサカサしたドライな「乾型」と、褐色でアメ状の「湿型」に分けられます。両親のいずれかが湿型である場合、湿型の子供の産まれる確率が高くなります。このように、遺伝の形式が明らかで、容易に確認できるため、耳垢の型は人類学の分野で利用されてきました。耳垢の型の分布には特徴があり、モンゴル系民族は乾型、白人と黒人は湿型の人種なのです。日本人は乾いた耳垢が八割以上で乾型の民族に属します。
 今年に入ってこの耳垢の型の研究で重要な発見がなされました。それは、長崎大学の新川詔夫教授のグループが耳垢の型(乾型か湿型か)を決定する遺伝子を見つけたのです。少し難しい話ですが、耳垢の原因遺伝子であるABCC11の配列のうち、一八○番目がGGGからAGGに変わると、作られるアミノ酸が変わり、湿型の耳垢から乾型の耳垢になることがわかりました。三○億もあるゲノムDNAのうち、たった一つの変異で耳垢の型が湿型から乾型へ変わるのです。人類学的に面白いのは、もともとヒトは湿型の耳垢しかもっていなかったようです。それが、約二万年前の最終氷河期にバイカル湖付近で、あるたった一人の祖先に湿型から乾型の遺伝子変化が起き、その後、乾型遺伝子が世界中に拡散したと新川先生が述べています。このたった一人の変異した遺伝子が、乾型の、耳垢を示す現在の日本人の八○%以上に受け継がれてきているのです。
 ここまでの話であれば、人類学者だけに興昧がある話ですが、この耳垢の型を決めるABCC11遺伝子は、研究の中で偶然に見つかったものなのです。いくつかの家系を調べて、ある病気になりやすい遺伝子が染色体のどこにあるかを調べていました。その研究の中で、ある種の杭がん剤などの薬が細胞の中に入るのを調節する遺伝子と耳垢の型を決める遺伝子が同一であることが偶然にわかりました。言い換えれば、抗がん剤の効き目(薬剤耐性)を決める遣伝子と耳垢の作質を決める遺伝子が一緒だったのです。
 このように耳垢の型を決定する遺伝子は、薬剤耐性遺伝子であったので、どのような薬剤の代謝に関わるのかをさらに調べました。すると、日常的に耳鼻科でも使われている抗がん剤の一部がこの遺伝子と関連があることもわかりました。他の重要な薬剤が固定できれば、その薬の使う時には、耳垢の型によって感受性の相違が決定されることになります。つまり、耳垢の型によって、くすりの効果の大きさ、副作用の強さの情報が薬を使う前に予想できるのです。耳垢の型で薬用量を決めるオーダーメード医療に貢献する可能性があるため、この研究は単なる人類学的な興味だけでなく、医学の治療に必要な新しいアイデアとして高く評価されているのです。
 多くの時代を動かすような研究成果は、やはり、小さな偶然と、それを見逃さない科学者の目が生み出していると再認識させられます。