『ムスリム・ニッポン』 田澤拓也 小学館 1998年
大戦間期の日本における日本人ムスリムたちに焦点を当てたノンフィクションである。帯には「第4回「週刊ポスト」「SAPIO」21世紀国際ノンフィクション大賞・最優秀賞受賞作品」と長ったらしい宣伝文句が打ってあるがSAPIOと聞くと正直不安になる。落合信彦がしばしば執筆する国際情報誌なんてどうすりゃ信用できるのさ?彼のお話はネタとして楽しむ分にはいいが本気にするとバカにされるだけだ。そういえば以前読んだ新聞記事(どうせ朝日だろう)に早稲田の政治学の教授が多くの学生が参考文献にSAPIOをあげてくるのを嘆いていた。記事は(例によって)右傾化を懸念するような内容だったがそれ以前に学問の衰退が問題だ。まあ早稲田なんてどうでもいいか。
そんな具合で微妙に心配だったわけだが蓋を開けてみると杞憂だった。エルトゥールル号の遭難[1]やアブデュルレシト・イブラヒムの来日[2]と山岡光太郎のメッカ巡礼などから書き起こして、大川周明や頭山満など国家主義者たちの大アジア主義と密接に結びついた日本におけるイスラーム受容と敗戦によるその蹉跌に至るまでを追ったなかなか興味深い本である。
しかし予備知識がない人にとっつきづらいかというとそんなことはない。明治から昭和にかけての大物の名前がいくらでも出てくるからだ。前記2人の他にも伊藤博文、松岡洋右、犬養毅、松井石根など錚々たる面子である。一般読者も彼らの名前を足がかりにして日本におけるイスラームの知られざる潮流に驚きをもって接することができるのではないだろうか?
しかしそれにつけても情けないのはこの本がジャーナリストによって書かれたことである。本来そのテーマからいっても我々イスラーム研究の徒(おれが入るかどうかは知らんけど・・・)が書くべきものではないのか?なんかまた悪口になりそうだが率直に言ってイスラーム史研究はやばい状態になりつつあると思う。一般読者に届くような発言があまりなされないのはまあしょうがない。どうせイスラーム史なんてマイナーな代物だからね。
しかし、多くの研究者には他人に解らせる努力をしようという意思が最初から欠如しているように思えてならない。彼らは(もしくは我々は)いざ発言する機会があっても恐らく何も為し得ないのではないだろうか。そもそもそんな意欲もなければ練習もしていないのだから。
だが、研究者間だけでしか通じない研究を続けて自慰行為のようなタコツボ研究を行う研究者を量産して何の意味があるのか?この忌々しい就職難の中での学校による保護程度でしかあるまい。我々の研究をいかに社会に、人々に還元していくか、そういうことを考えなければならないだろう。研究の意義や成果が世間に理解されねばそれでなくてもマイノリティのイスラーム史研究だ。大学の合理化の中で真っ先に切り落とされかねない。ひいては自分の首を絞めるばかりか新たな研究をも討つことになるだろう。
なお、例のテロ以来巷ではイスラーム研究の重要性こそ叫ばれているがだからといって需要が大幅アップしたと思ったら大間違いだ。大体、少しは伸びたその期待に応えられるのはおれの見るところこの『ムスリム・ニッポン』のような本であって研究者の晦渋な言説ではない。
丁度上手く本の話題にループしたところで締めに入ろう。とりあえず我々研究者は一般人へのアピールをより活性化させるべきである。そのためには訓練が必要だ。とりあえずおれとしてはゼミの改革から始めるべきではないかと思う。以前読んだ宮崎市定の本にあったエピソードだが当時の京都大のゼミには気軽に一般人も顔を出していたという。時代も違えば対象も違うので一概には言えないがこういう状態に何とか近づけることは出来ないものか。せめて他学科・他学部の学生が気軽に参加できるようになれば大分違ってくると思うのだが。もちろん授業は発表の比重を増やしてさ。詳しくは恐ろしくてとても言えないが現在の某ゼミの状況は10人以上参加者がいても実際は3〜4人によって進められているだけでその存在価値すら疑わしいしね。おれ?もちろんいつも聞き流してるか内職してるよ。
追記 機嫌が悪いときに書いた文章はあとで見直すと結構むちゃくちゃなことが多々あるけどこれもそう ですね。一回出したものを取り消すのは良心が咎めるので消すことはしないけど弁解の言葉だけは 書いときます。あわわわ。
[1] 1889年にオスマン朝から派遣された同艦が紀伊半島沖で沈没した。その際の日本の官民上げての救援活動と巨額の義捐金がトルコの親日感情の端緒となった。スピリッツで連載してる江川達也の『日露戦争物語』になんかあったような。
[2]イブラヒムはタタール人のウラマー。来日時の記述である『ジャポンヤ』の翻訳が第3書館から出てる。