こどもにとっての自然かんさつの意味 本多の考え
1 自然体験の特徴
人間の作ったものには明確な機能があります。機能を使いこなすにはその「もの」のもつしくみ(法則性)を知る必要があります。人は、そのルールをマニュアルあるいは試行錯誤で読み取りながら、使いこなすすべを学んでいきます。ゲームの世界はその典型です。自然にも法則性があります。それを読みこなすことが自然の中で自由に活動するための基礎にあり、その点では人工物も自然も変わりません。
しかし、人間の作ったものは自然に比べてはるかに単純であり、また基本的にひとつの機能に対応したひとつのしくみしかもっていません。自然はその点、多様な読み取りを認めます。科学の文脈で読んでもいいし、文化の文脈で読んでも良い。西洋と東洋では自然の捉え方が違うのも周知のことです。それは自然が特定の機能に奉仕するものではないからです。国により自然の捉え方が異なるのは自然に期待する機能が異なるからと思われます。つまり自然は多様な捉え方を受け入れる存在であるのです。別の言い方をすると自然は多様性の中で自分を鍛える絶好の場所なのです。
また、ものの理解には論理とともに感性が必要であることは多くの人が実感すると思いますが、自然は感性を磨くのにすぐれた教師であると思います。
2 幼少期の自然体験の重要性
自然に取り組むには順序があると思います。小学4年生ぐらいになると生き物に触れたりするのをいやがるようになり、関心すらもたない子どもも出てきます。それではもうおそい。少なくとも幼稚園年長から小学生低学年の時代のうちに自然に親しめるようになっておく必要があることを痛感します。この年代の自然体験が重要です。
そして、その年代のこども達にとって必要な自然体験はこども達の興味にそったものであるべきことはいうまでもありません。
興味をもったものに接近する、つかまえる、遊ぶ・・こうした行動を通じて人は対象を「知り」「わかっていく」のだと思います。こうした行動の一部は大人の目からは「ひどいもの」として見える場合もあると思います。しかし、決してこれをはばむべきではありません。なぜならば次へ進むための重要なステップであり、彼らは大人になるために大人と違う「動物」としての時代を生きているからだと思います。大人の価値基準とは違う時代に生きているのだと思うべきと考えます。
しかし、そうした中にも人間として知的探求の芽生えというべきものが出てきます。普通の子どもであれば、そうした方向は必ず出てきます。そして、それをうまく捉えて育ててやることも大事だと思います。しかし、重要なことは知的探求の芽生えの前に必ず対象への興味を育てる「感性」の時代を経験する必要があることだと思います。
自然に取り組むにはなんらかの体系を手に入れる必要があります。先に述べましたようにその体系は幾通りもあります。しかし、その基礎は幼少時代の自然体験だと思います。
私は子ども昆虫塾を通じてこども達が昆虫、生き物や自然が好きになり、さらに生物学を好きになってくれればうれしいと思います。虫好き仲間が増えることもこの塾を通じて実現したいことのひとつです。しかし、幼少時の自然体験は人間としての基礎を作るものであり、どんな分野に進もうとも役に立つものであると思っています。
3 昆虫は最良の教材
幼少時の自然体験の対象として私は昆虫がもっとも良いと考えています。
こども達は動くもの、ひかるものが好きです。そして興味をもてば、手に取ってさらに詳しく知りたいと思うようになります。
こうした条件にあてはまるものといえば、植物や鳥よりも虫が一番であることはいうまでもありません。それから、虫がそこそこいる自然というのはあるていどのレベルの自然があると見てもいいと思います。また、虫は生産者である植物と高次の捕食者である鳥や動物の中間にあるので、両者を知る窓口にもなります。つまり広がりがあると思っています。
4 身近な場所に自然体験の場を
こうした自然体験が大人の設定した場面たとえば日常を離れた北海道や沖縄の中やかんさつ会の中だけでしかできないというのは私には不十分に思えます。なぜならばこども達の自発性が大事だと思うからです。こども達が「虫をとりたい」「あの林に行きたい」と思って自ら赴き、体験ができるということが大事だと思うのです。そのためにはこども達の日常世界の中に自然が必要だと思います。
そしてこども達を見守り、必要なときに手助けしてやることができればいいと思います。
この昆虫塾はそうした時に大人がいなくても、こども自ら自分の探求の芽生えを発展させるための下ごしらえをする場でもあると思っています。