| 連合赤軍・3 山岳ベース事件2 |
| 私は、山崎氏の死に続く大槻さんの死でガックリしてしまった。 |
| 心の中に大きな空洞ができてしまったようだった。 |
| 土間で火にあたりながらしばらくボンヤリしていたが、 |
| 新党が一段と味気ないものになり、 |
| ますます積極的な気分になれなくなっていた。 |
| (植垣康博「兵士たちの連合赤軍」) |
| 経過5 | |||
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| 指導者への批判 |
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12日、坂東と寺岡が日光方面へのベース地の調査へ出掛ける際、森は寺岡に対し「(遠山への総括時の発言に対し)総括を考えるように」と言った。寺岡は「僕も総括しなければならないと考えていた。調査中に総括を考える」と答えた。 そして14日、指導部会議の中で、本人不在のまま寺岡への批判が始まった。まず革命左派時代の寺岡の活動を検討することになった。森は永田に色々と聞いた。その後、小嶋を埋葬する際に「こいつは反革命だ」と言ったことに対し「党内の矛盾を反革命で片付けることは、スターリン主義だ」と批判した。 革命左派による銃砲店襲撃後の札幌潜伏時、永田と坂口が上京した際「軍の委員長と党の責任者を寺岡が担当、永田は機関紙担当、坂口は統一戦線担当、半合法メンバーを軍に入れる」という改組案を寺岡は考えた。そして札幌を後にし永田、坂口と再会した際に、この案を話した。しかし永田らと話し合いを進める中で、寺岡はこの改組案を取り下げていた。しかし、このことを森は「分派主義」と決め付けた。そしてその後、戻って来た山田と吉野に対し「寺岡への厳しい総括要求」の確認がなされた。 |
| 死刑 |
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17日の夕方、坂東と共に榛名ベースに戻って来た寺岡に対して追及が始まった。指導部のコタツで寺岡は、坂口と吉野に挟まれるように座らされ、身を小さくして俯いていた。
そして革命左派の頃のことから、同志を蹴落としたこと、三崎との離婚問題についてまで、こと細かく追及され批判された。 やがて寺岡は「永田と坂口が逮捕されればいい(自分が最高指導者になれば、組織の金を自由に使えるから)と思った」と発言してしまう。この発言に対して殴打を始めた者もいた。 更に森や永田は、永遠とも思えるほど長い間追及し、それに寺岡は答えていった。やがて寺岡は「殴って欲しい」と言い出すほどに追い詰められた。しかし森はそれを拒否し、更に追及していった。「もはやCCだけの問題ではないから、全体で追及しよう」と永田が言い出し、眠っていたメンバーは起こされた。 起こされたメンバー達は、なぜ指導者の一人である寺岡が、ここまで追及されているのか解せなかった。しかし坂東の「寺岡はなー、永田さんと坂口さんを(権力に)売ろうとしたんだ! どうして黙っているんだ!何とか言え!」という怒りを起こさせるような発言を聞き、次第に批判を始めた。 そして中央に立たされ追及され続けた。その時の追及の内容は「ある仮定」に対し「こう思った」と寺岡が答え、その寺岡の答えに怒ったメンバーが殴打を加え、追及され、答える…という不毛なものだった。 森「永田さんと坂口君が捕まった後、どうするつもりだったんだ」 寺「組織を乗っ取るつもりでした」 森「それが出来なかったらどうするつもりだったんだ」 寺「逃げるつもりでした」 森「いつ逃げようとしたんだ」 寺「調査中に坂東さんを殺して逃げようと思った」 森「どうやって逃げようと思った」 ・・・・・・ しかしこの時の寺岡の発言に対して、坂東は「逃げようと思えばいくらでも出来た状況だったから嘘だろう」と思っていた。しかし庇うことはなかった。 「(逃げた後)叔父が警察の顧問をしているから、その叔父に情報を売って助かるつもり」と発言した寺岡に対し、全員は激しく怒り殴打をした。実際に情報を売ったことはないかと詰問された寺岡は「ありません」と否定した。 突然、森は追及をしながら寺岡の大腿部にナイフを突き刺した。これは永田と坂東以外は知らず(この二人も直前に言われた)他のメンバーはビックリした顔をしていた。そして森に指示された坂東が、寺岡の腕にナイフを突き刺した。 革命左派による愛知外相訪米訪ソ阻止闘争の際、「なぜ寺岡は執行猶予がついたのか。叔父が警察関係者だからではないか」と追及されたが、寺岡はナイフで刺され、その柄を揺さぶられても、最後まで「分かりません。ありません」と否定し続けた。 しかし寺岡は、ソ連大使館に火炎瓶を投擲しようとした(犯行直前に逮捕された)罪状だったため、羽田空港に侵入し火炎瓶を投げた坂口や吉野の程、刑が重くなるとは考えられず、ただの言いがかりに過ぎない。 森は他の指導者を一ヶ所に集め、「寺岡を死刑にする」と発言。その後、大きな声でこう言った。 「お前の行為は反革命と言わざるを得ない。総括を早急にやる必要があるがそれを期待することはとうてい出来ないから死刑だ」 メンバー達は驚きながらも「異議なし」と答えた。しかし声が小さかったため、森が「どっちなんだはっきりしろ!」と言うと、メンバー達は大声で「異議なし!」と答えた。寺岡に対する死刑が確認された瞬間だった。 そして「何か言い残したことはないか」と聞かれた寺岡は 「革命戦士として死ねなかったのが残念です」と答えた。それに対し、森は「お前はスターリンと同じだ。死ね!」と言い、胸にアイスピックを刺した。 絶命しない寺岡に対し、他のメンバーも矢継ぎ早にアイスピックを刺したがなおも絶命せず、坂口が「首を絞めろ!」と言い、タオルで寺岡の首を絞めた。しかし手を緩めると、息を吹き返した寺岡が血の混じったものを吐き出した。 再度タオルで首を絞め、時間をおき手を離すと、寺岡はくの字型に崩れ落ちた。 寺岡の座っていた場所には血溜りが出来ていて、メンバー達は呆然としながらそれを拭き取った。 その後の全体会議で、森は心臓を刺したメンバーを評価したが全員旧赤軍派メンバーだった。一方で処刑中に一人輪から離れ、隠れるようにしていた旧赤軍派の山崎に対する批判が始まった。 |
| 偽死刑宣告 |
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寺岡に対する処刑の時の態度を「逃げようとしていたのではないか」と詰問された山崎は、「自分は寺岡に似ているから、自分も殺されると思いました」と答えてしまった。この
答えに対して森は、“寺岡と同じ反革命的な要素を持っているか、指導部が勝手に寺岡を殺害したと思っているか”のどちらかだと思った。そして処刑に積極的に加わらず、逃走の恐れもある山崎の処遇が指導部内で検討された。 ちょうどその頃、元赤軍派の女性が逮捕されたことで、ベースの移動を余儀なくされていた。しかし新しいベース地に連れて行けるかの判断材料として、山崎に死刑を宣告し反応を見ることが決められた。これは永田の提案だった。 そして山崎への「偽死刑宣告」がなされた。山崎は「分かりました。先の7名のように醜い顔をしないで死んでいきたい」と泣いた。「お前を死刑にする」と森が言った後、森 を中心に坂東・坂口・吉野は山崎にナイフを突き付けた。しかし坂口は、嫌でたまらないという表情でナイフをかろうじて握っているというやる気のない態度をとった。 ナイフを突き付けながらの追及中に、「革命戦士になるには、最後まで生き、闘い抜く決意を持たなければ駄目だ」と森は言い聞かせるように何度も言った。山崎はそれに答えるように「革命戦士になりきって生きます」と決意表明をした。 そして緊縛され髪も切られた。 |
| 自殺したい、死にたくない |
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緊縛された山崎の態度が問題になった。すっかり落ち着いてしまって総括をする態度ではない“すべて計算ずくで行動している”とみなされた。そのため「アイスピックを大腿部に刺し、総括を聞こう」ということになった。しかし指導部の誰が山崎を刺すかごちゃごちゃ話し合っていたが、突然森が大声を出し「寺岡の時、刺さなかった奴がいる!アイスピックを使うと使わないのとでは大違いだ!」と言った。 これは指導者でありながら刺さなかった(積極的に反革命[寺岡]と闘わなかった)坂口に対する非難だった。 やがて坂口が山崎の大腿部にアイスピックを突き刺し、厳しい追及が始まった。 山崎は、死刑宣告の途中で、体を押さえつけていた坂口の力が緩んだことで「死刑宣告」が芝居であることに気付いたと話した。そしてその時の発言も嘘だったと言った。それに対し全員から反感を買い、更に追及されることになった。 追及されるまま「逃亡しようと思ったこと、赤軍派の情報を雑誌に売って生活しようと思ったこと」などを山崎は話した。これは寺岡が追い詰められた時と同じである。言葉を発し、殴打され、更に追及されるという無限ループになっていた。その後、森から「メンバーの人物評価」をするように指示された。これは「計算して行動する」タイプの山崎を立証するためだった。山崎は「バロン(植垣)は田舎紳士だから騙せると思った」など、ひとりひとりについて答えていった。あまりに的確で途中で爆笑するシーンも度々あったが殴打も行われた。 一通り人物評価が終わると、森は山崎に「お前、これからどうする」と聞いた。「自殺したい」と山崎は答えた。「舌を噛め」と言われたが、すぐに山崎は止めてしまった。そして森は「お前のような卑怯者には、自殺など出来るはずがない」と言った。 すると山崎は「殺してくれ」とポツンとつぶやいた。「殺してくれと言うなら死刑だ」と森が言うと、全員が「異議なし!」と大声を出した。 「最後に言い残したことはないか」という森の一言に、山崎は「死にたくない」と言った。 「だめだ」と森は答えた。 そして坂口が最初に山崎の心臓にアイスピックを突き刺した。しかし寺岡の時と同じように、メンバーが交代しながら刺しても絶命しなかった。「早く楽にさせてくれ」と苦痛にあえぐ山崎にナイフが使われたが、絶命しなかった。結局、坂口の「駄目だ、首を絞めろ」の言葉で寺岡時と同様にタオルで首を絞めた。絶命した山崎の体にはサラシが巻かれ、床下に移された。 |
| 経過6 | |
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| 終わらない総括 |
赤軍派と革命左派が新党を結成した頃から、金子と大槻に対して自己批判が求められていた。二人は「ブルジョア的な女性からの脱却」を要求されていた。
既に亡くなっている小嶋と遠山もこのことで批判を求められていた。 |
| 迦葉山ベース |
| 榛名ベースから建設予定地の迦葉山までは、かなりの距離があった。 車で行く場合は別として、湖畔からバスに乗り伊香保を経由して渋川まで出て、そこから上越線で沼田まで行く。そしてバスに再度乗り一時間以上かけて終点で下車。そこから更に歩くという不便な場所にあった。 ベース建設をするメンバー達は、鹿俣川のほとりにある「タンク岩」を目印に、付近にテントを張り、そこを仮のベースとして、急勾配の山林に山小屋建設を始めた。雪が深い場所は腰まであったが皆必死に働いた。 22日から 突貫工事で行われた迦葉山ベースは、30日に人が雨風を凌げる位まで仕上がった。 植垣も大槻との関係などで厳しく総括を求められていたが、森の信頼度は坂東に次ぐものがあり、実践に強く、ベース建設や山岳調査など、リーダーシップをとって行動していた。しかし総括を求められた植垣本人は、夜も寝ずに必死で総括をしたが、坂東や坂口に「明日も作業があるから寝ろ」と言われ るほど植垣がいなければ、迦葉山ベースの短期建設は不可能だった。殴打や緊縛こそなかったものの、総括を求められた者の中での異例の出来事と言っていいのかも知れない。 |
| 新たなベース地での死 |
迦葉山に帰った坂口は、すぐに森・永田から出された山本に対する殴打の指示を坂東と吉野に伝えた。そして山本に「今日一日何を考えていた!総括しろ」と追及が始まった。山本は「悪かった、謝る」と言った。その後、殴打も始まった。メンバー全員による殴打が一巡した後、坂口の指示で山本は縛られた(逆海老)。 |
| 0.01パーセントの可能性 |
カンパ要請のため上京し、山岳ベースに不在だった山田への批判は、榛名ベースに於いて、上京する直前の25日から始まっていた。 |
| 指導部の自己批判 |
総括を求められていた金子に対し、森は「いざとなったら子どもを取り出す」と指導部会議で発言した。その後の全体会議で、森はメンバー達に“金子は子どもを私物化していること、妊娠しているから厳しい総括要求はないだろうという態度をとっていること、官僚的で女寺岡であること”などを説明し、指導部会議での発言と同じく「子どもの奪還」を宣言した。それを聞いたメンバー達は、誰も何も言わずじっとしていた。 |
| 森・永田の上京 |
金子の死後、
永田の提案で、総括を要求されていた山田が解縛され食事を与えられた。そして「総括と食事は関係ないから一日一食は食事を与えよう」とも提案した。永田にとって、金子の死
は相当ショックな出来事だったとみえる。そして全員で土間のストーブに集まり、山田を囲むようにしてにぎやかに雑談をした。 |
| 経過7 | |||
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| 「総括出来た」最後の犠牲者 |
5日、坂東や吉野を中心として、榛名ベースを解体に行くメンバーが出発してしまうと、迦葉山のアジトには、坂口・中元・山本妻子と総括を求められて緊縛されている山田だけとなった。 |
| 批判の矛先 |
12日朝、坂口は「山田の死」を報告するために、横川のドライブインに行った。そして電話に出た森に伝えたが、上京するようにとの指示が出た。この時に森は「山田の死を、悲しげな様子で報告してきた坂口君は問題だ」と批判を始めていた。 |
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光の雨について |
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