連合赤軍・3 山岳ベース事件2


私は、山崎氏の死に続く大槻さんの死でガックリしてしまった。
心の中に大きな空洞ができてしまったようだった。
土間で火にあたりながらしばらくボンヤリしていたが、
新党が一段と味気ないものになり、
ますます積極的な気分になれなくなっていた。
(植垣康博「兵士たちの連合赤軍」)



経過5

1972.1.9 新たな党員 ※1
1972.1.10 次のベース地の候補地調査 ※2
1972.1.14 指導部会議で寺岡への批判が高まる(寺岡不在)                            
1972.1.17 寺岡への総括
1972.1.18 寺岡への処刑・死亡 
1972.1.19 山崎への総括 
1972.1.19 名古屋で任務中、原田逃亡 ※3
1972.1.20 山崎への処刑・死亡 

※1  新党の新たな党員として、植垣・前山・原田・寺森の4名が森により提案されて決定した。また党員候補として何人か決められた。しかしその後、原田と前山は逃亡してしまう。

※2  元赤軍派で「坂東隊」にいた女性が逮捕された。彼女は亡くなった進藤の恋人であった。半年前まで高崎市内にアジトを構えていた。榛名ベースは 、高崎から近い場所にあり、危険だとして新しいベース建設が検討された。そしてその調査として、植垣・三崎が「迦葉山方面」、吉野・寺森が「赤城山方面」と決められた。その後、森が坂東・寺岡に対し「日光方面」に調査に行くことを指示した。

※3 名古屋の中京安保のメンバーをオルグに出掛けた佐藤と原田だったが、喫茶店に入った時、所持金全部を佐藤に託して原田は離脱してしまった。森は、原田を高く評価していて「昔の自分に似ている」とさえ言っていた。



指導者への批判
12日、坂東と寺岡が日光方面へのベース地の調査へ出掛ける際、森は寺岡に対し「(遠山への総括時の発言に対し)総括を考えるように」と言った。寺岡は「僕も総括しなければならないと考えていた。調査中に総括を考える」と答えた。

そして14日、指導部会議の中で、本人不在のまま寺岡への批判が始まった。まず革命左派時代の寺岡の活動を検討することになった。森は永田に色々と聞いた。その後、小嶋を埋葬する際に「こいつは反革命だ」と言ったことに対し「党内の矛盾を反革命で片付けることは、スターリン主義だ」と批判した。

革命左派による銃砲店襲撃後の札幌潜伏時、永田と坂口が上京した際「軍の委員長と党の責任者を寺岡が担当、永田は機関紙担当、坂口は統一戦線担当、半合法メンバーを軍に入れる」という改組案を寺岡は考えた。そして札幌を後にし永田、坂口と再会した際に、この案を話した。しかし永田らと話し合いを進める中で、寺岡はこの改組案を取り下げていた。しかし、このことを森は「分派主義」と決め付けた。そしてその後、戻って来た山田と吉野に対し「寺岡への厳しい総括要求」の確認がなされた。



死刑
17日の夕方、坂東と共に榛名ベースに戻って来た寺岡に対して追及が始まった。指導部のコタツで寺岡は、坂口と吉野に挟まれるように座らされ、身を小さくして俯いていた。 そして革命左派の頃のことから、同志を蹴落としたこと、三崎との離婚問題についてまで、こと細かく追及され批判された。

やがて寺岡は「永田と坂口が逮捕されればいい(自分が最高指導者になれば、組織の金を自由に使えるから)と思った」と発言してしまう。この発言に対して殴打を始めた者もいた。

更に森や永田は、永遠とも思えるほど長い間追及し、それに寺岡は答えていった。やがて寺岡は「殴って欲しい」と言い出すほどに追い詰められた。しかし森はそれを拒否し、更に追及していった。「もはやCCだけの問題ではないから、全体で追及しよう」と永田が言い出し、眠っていたメンバーは起こされた。

起こされたメンバー達は、なぜ指導者の一人である寺岡が、ここまで追及されているのか解せなかった。しかし坂東の「寺岡はなー、永田さんと坂口さんを(権力に)売ろうとしたんだ! どうして黙っているんだ!何とか言え!」という怒りを起こさせるような発言を聞き、次第に批判を始めた。

そして中央に立たされ追及され続けた。その時の追及の内容は「ある仮定」に対し「こう思った」と寺岡が答え、その寺岡の答えに怒ったメンバーが殴打を加え、追及され、答える…という不毛なものだった。
森「永田さんと坂口君が捕まった後、どうするつもりだったんだ」
寺「組織を乗っ取るつもりでした」
森「それが出来なかったらどうするつもりだったんだ」
寺「逃げるつもりでした」
森「いつ逃げようとしたんだ」
寺「調査中に坂東さんを殺して逃げようと思った」
森「どうやって逃げようと思った」
・・・・・・
しかしこの時の寺岡の発言に対して、坂東は「逃げようと思えばいくらでも出来た状況だったから嘘だろう」と思っていた。しかし庇うことはなかった。

「(逃げた後)叔父が警察の顧問をしているから、その叔父に情報を売って助かるつもり」と発言した寺岡に対し、全員は激しく怒り殴打をした。実際に情報を売ったことはないかと詰問された寺岡は「ありません」と否定した。

突然、森は追及をしながら寺岡の大腿部にナイフを突き刺した。これは永田と坂東以外は知らず(この二人も直前に言われた)他のメンバーはビックリした顔をしていた。そして森に指示された坂東が、寺岡の腕にナイフを突き刺した。

革命左派による愛知外相訪米訪ソ阻止闘争の際、「なぜ寺岡は執行猶予がついたのか。叔父が警察関係者だからではないか」と追及されたが、寺岡はナイフで刺され、その柄を揺さぶられても、最後まで「分かりません。ありません」と否定し続けた。
しかし寺岡は、ソ連大使館に火炎瓶を投擲しようとした(犯行直前に逮捕された)罪状だったため、羽田空港に侵入し火炎瓶を投げた坂口や吉野の程、刑が重くなるとは考えられず、ただの言いがかりに過ぎない。

森は他の指導者を一ヶ所に集め、「寺岡を死刑にする」と発言。その後、大きな声でこう言った。
「お前の行為は反革命と言わざるを得ない。総括を早急にやる必要があるがそれを期待することはとうてい出来ないから死刑だ」

メンバー達は驚きながらも「異議なし」と答えた。しかし声が小さかったため、森が「どっちなんだはっきりしろ!」と言うと、メンバー達は大声で「異議なし!」と答えた。寺岡に対する死刑が確認された瞬間だった。

そして「何か言い残したことはないか」と聞かれた寺岡は 「革命戦士として死ねなかったのが残念です」と答えた。それに対し、森は「お前はスターリンと同じだ。死ね!」と言い、胸にアイスピックを刺した。

絶命しない寺岡に対し、他のメンバーも矢継ぎ早にアイスピックを刺したがなおも絶命せず、坂口が「首を絞めろ!」と言い、タオルで寺岡の首を絞めた。しかし手を緩めると、息を吹き返した寺岡が血の混じったものを吐き出した。

再度タオルで首を絞め、時間をおき手を離すと、寺岡はくの字型に崩れ落ちた。
寺岡の座っていた場所には血溜りが出来ていて、メンバー達は呆然としながらそれを拭き取った。

その後の全体会議で、森は心臓を刺したメンバーを評価したが全員旧赤軍派メンバーだった。一方で処刑中に一人輪から離れ、隠れるようにしていた旧赤軍派の山崎に対する批判が始まった。



偽死刑宣告
寺岡に対する処刑の時の態度を「逃げようとしていたのではないか」と詰問された山崎は、「自分は寺岡に似ているから、自分も殺されると思いました」と答えてしまった。この 答えに対して森は、“寺岡と同じ反革命的な要素を持っているか、指導部が勝手に寺岡を殺害したと思っているか”のどちらかだと思った。そして処刑に積極的に加わらず、逃走の恐れもある山崎の処遇が指導部内で検討された。

ちょうどその頃、元赤軍派の女性が逮捕されたことで、ベースの移動を余儀なくされていた。しかし新しいベース地に連れて行けるかの判断材料として、山崎に死刑を宣告し反応を見ることが決められた。これは永田の提案だった。
そして山崎への「偽死刑宣告」がなされた。山崎は「分かりました。先の7名のように醜い顔をしないで死んでいきたい」と泣いた。「お前を死刑にする」と森が言った後、森 を中心に坂東・坂口・吉野は山崎にナイフを突き付けた。しかし坂口は、嫌でたまらないという表情でナイフをかろうじて握っているというやる気のない態度をとった。

ナイフを突き付けながらの追及中に、「革命戦士になるには、最後まで生き、闘い抜く決意を持たなければ駄目だ」と森は言い聞かせるように何度も言った。山崎はそれに答えるように「革命戦士になりきって生きます」と決意表明をした。 そして緊縛され髪も切られた。



自殺したい、死にたくない
緊縛された山崎の態度が問題になった。すっかり落ち着いてしまって総括をする態度ではない“すべて計算ずくで行動している”とみなされた。そのため「アイスピックを大腿部に刺し、総括を聞こう」ということになった。しかし指導部の誰が山崎を刺すかごちゃごちゃ話し合っていたが、突然森が大声を出し「寺岡の時、刺さなかった奴がいる!アイスピックを使うと使わないのとでは大違いだ!」と言った。
これは指導者でありながら刺さなかった(積極的に反革命[寺岡]と闘わなかった)坂口に対する非難だった。

やがて坂口が山崎の大腿部にアイスピックを突き刺し、厳しい追及が始まった。
山崎は、死刑宣告の途中で、体を押さえつけていた坂口の力が緩んだことで「死刑宣告」が芝居であることに気付いたと話した。そしてその時の発言も嘘だったと言った。それに対し全員から反感を買い、更に追及されることになった。

追及されるまま「逃亡しようと思ったこと、赤軍派の情報を雑誌に売って生活しようと思ったこと」などを山崎は話した。これは寺岡が追い詰められた時と同じである。言葉を発し、殴打され、更に追及されるという無限ループになっていた。その後、森から「メンバーの人物評価」をするように指示された。これは「計算して行動する」タイプの山崎を立証するためだった。山崎は「バロン(植垣)は田舎紳士だから騙せると思った」など、ひとりひとりについて答えていった。あまりに的確で途中で爆笑するシーンも度々あったが殴打も行われた。

一通り人物評価が終わると、森は山崎に「お前、これからどうする」と聞いた。「自殺したい」と山崎は答えた。「舌を噛め」と言われたが、すぐに山崎は止めてしまった。そして森は「お前のような卑怯者には、自殺など出来るはずがない」と言った。
すると山崎は「殺してくれ」とポツンとつぶやいた。「殺してくれと言うなら死刑だ」と森が言うと、全員が「異議なし!」と大声を出した。

「最後に言い残したことはないか」という森の一言に、山崎は「死にたくない」と言った。
「だめだ」と森は答えた。

そして坂口が最初に山崎の心臓にアイスピックを突き刺した。しかし寺岡の時と同じように、メンバーが交代しながら刺しても絶命しなかった。「早く楽にさせてくれ」と苦痛にあえぐ山崎にナイフが使われたが、絶命しなかった。結局、坂口の「駄目だ、首を絞めろ」の言葉で寺岡時と同様にタオルで首を絞めた。絶命した山崎の体にはサラシが巻かれ、床下に移された。



経過6

1972.1.22 迦葉山ベース建設始まる 金子、大槻はベース建設参加せず ※1
1972.1.23 山崎を埋葬
1972.1.25 金子、大槻への総括  山田上京
1972.1.26 ベース建設中、迦葉山テントにて山本への総括(森、永田不在(殴打指示のみ)の中で行なわれた唯一のケース)
1972.1.28 革命左派 丹沢ベースが発見される
1972.1.29 迦葉山ベースへ移動 
1972.1.30 山本、大槻死亡 
1972.1.31 山田への総括 
1972.2.4 金子死亡 
1972.2.4 森、永田カンパ要請のため上京 

※1  積極的に活動をしてきた二人だったが、新たな迦葉山へのベース建設参加を許されず、榛名ベースに残り、自己批判を求められた。



終わらない総括

赤軍派と革命左派が新党を結成した頃から、金子と大槻に対して自己批判が求められていた。二人は「ブルジョア的な女性からの脱却」を要求されていた。 既に亡くなっている小嶋と遠山もこのことで批判を求められていた。

遠山が亡くなった時の全体会議で、金子と大槻は永田から「あなた達は総括出来るから、早く総括しちゃいなさい」と励まされている。しかし、その後の山崎処刑後に二人は再度批判された。新たなベース地が決まり、ほとんどのメンバーがベース建設のために迦葉山に出掛けて行ったが、金子と大槻は参加者から外され総括を求められた。

金子に対しては、尾崎の決闘の際、席を外したことを咎められ「あんなことをしても尾崎君は立ち直れないと思う」と言ったことを取り上げられ総括を求められた。他に自分から、榛名湖のバス停まで山田を迎えに行った時、長時間待ち続けたため寒くてお腹が空いたからと、近くの食堂と喫茶店に入ったことを告白して自己批判した。他にも夫である吉野に頼りすぎであるとか、下部のメンバーをあごで使う官僚的な部分があること、妊娠を盾にとって甘えているなど批判された。

一方で大槻は、寺岡処刑の際「女性メンバーと寝たい」と寺岡が言った時、一番初めに大槻の名前が出たこと、また山崎の「人物評価」でも同じような内容を言われたことについて、「真の革命家として自立していないからだと思う」と自己批判した。他には、カンパされた金で自分のパンタロンを買ったこと、獄中に恋人がいるのに向山と付き合ったこと、更に植垣ともお互いに好意を持っていること 、優等生的で頭が良いからと実践ではなく何事も机上の論理で結果を出そうとする態度などを批判された。 後に大槻は向山との関係を森から追及され、組織を裏切ったとされた向山と「訣別として寝た」ことを告白し、更に追い込まれることになった。

25日、大槻は「なぜ総括を求められるのか分からない」と洗濯をしながら泣いていたと、永田は寺森から話を聞いた。そして寺森に「一心に総括を考えなければ駄目だ」と大槻に伝えるようにと言った。

森は永田に、金子と大槻に対する緊縛の指示を出した。そして二人は小屋のタンス付近と中央の柱に縛られた。 縛られた後、大槻は元気をなくし、じっと考えていたが、金子は与えられたミルクをがぶがぶ飲んだり、永田から出された批判についても、毅然とした態度を取り、認めようとはしなかった。その態度を「妊娠しているから、総括されないと思っているのだ」と森らは決め付けた。

しかし実際は、緊縛されるまで金子と大槻は総括すべく、真剣に作業に打ち込んでいた。金子は、妊娠7ヶ月の体であったが、必死になって山の斜面を這うように薪拾いをやっていた。大槻も同様だった。

29日、榛名ベースには、ほぼ完成した迦葉山ベースに荷物や金子・大槻を移動させるために、迦葉山から坂口、坂東、青山などが来ていた。「大槻は真面目に総括しようとしているが、金子はこのままでは連れて行けない」と森と永田が判断し、金子が逃げ出 せないように顔を殴ることに決まった。

無言のまま森は金子に近付き、針金を束ねて輪にしたもので金子の顔を殴った。「私がいるから、あんたは女ボスになろうとしてもなれないのよ」と言いながら永田も殴った。やがて針金が曲がり使い物にならなくなったため、素手で殴り始めた。 坂口、坂東らもそれに続いた。

青山が殴打する前に「今、どんなことを考えているのだ?」と質問すると、金子は泣きながら「私は山に来るべき人間ではなかった」と答えた。それを森が「全面的に自己の問題を清算する態度だ」と怒り、金子を罵倒した。金子の顔は、他の殴打されたメンバーと同じように元の面影がなくなっていた。
ベース移動の直前に、森は金子に対し「組織全体のものである子どもを自己の所有物としていることと、我々はあくまで闘う」と宣言した。

他にも迦葉山では、ベース建設に参加している山本に対しても批判が始まっていた。主に運転手として行動していた山本だったが、度重なる運転ミスを厳しく注意されていた。 そのことを自己批判しないことが問題視された。
そして 迦葉山での森・永田不在の中で行われた会議の際、亡くなった8名との闘争にどう関わってきたかを問われた山本は「自分としては革命のお手伝いをして来ただけだ。山崎の時は物理的に手を貸しただけだ」と発言する。その他人行儀な言い方にメンバー達は怒りをあらわにした。翌日そのことを坂口から伝えられた森・永田は、山本への殴打による総括要求を行うように命じた。



迦葉山ベース
榛名ベースから建設予定地の迦葉山までは、かなりの距離があった。
車で行く場合は別として、湖畔からバスに乗り伊香保を経由して渋川まで出て、そこから上越線で沼田まで行く。そしてバスに再度乗り一時間以上かけて終点で下車。そこから更に歩くという不便な場所にあった。

ベース建設をするメンバー達は、鹿俣川のほとりにある「タンク岩」を目印に、付近にテントを張り、そこを仮のベースとして、急勾配の山林に山小屋建設を始めた。雪が深い場所は腰まであったが皆必死に働いた。

22日から 突貫工事で行われた迦葉山ベースは、30日に人が雨風を凌げる位まで仕上がった。

植垣も大槻との関係などで厳しく総括を求められていたが、森の信頼度は坂東に次ぐものがあり、実践に強く、ベース建設や山岳調査など、リーダーシップをとって行動していた。しかし総括を求められた植垣本人は、夜も寝ずに必死で総括をしたが、坂東や坂口に「明日も作業があるから寝ろ」と言われ るほど植垣がいなければ、迦葉山ベースの短期建設は不可能だった。殴打や緊縛こそなかったものの、総括を求められた者の中での異例の出来事と言っていいのかも知れない。



新たなベース地での死

迦葉山に帰った坂口は、すぐに森・永田から出された山本に対する殴打の指示を坂東と吉野に伝えた。そして山本に「今日一日何を考えていた!総括しろ」と追及が始まった。山本は「悪かった、謝る」と言った。その後、殴打も始まった。メンバー全員による殴打が一巡した後、坂口の指示で山本は縛られた(逆海老)。

28日、ラジオからは革命左派が以前使用していた、丹沢ベースが発見されたというニュースが流れた。また、運転手の奥田が落とした免許証を、地元の猟師がベースを建設している吉野に「あんたたちのか?」と届けてくれた。その時、この猟師の通報によってベースが警察に通報されると焦ったメンバー達は、独断で殲滅戦を行い、死守することを誓い合った。

29日、午前1時、榛名ベースに残っていたメンバーが、荷物と総括を要求されている金子と大槻を連れて、迦葉山ベースにやって来た。そして「猟師に見付かったため、殲滅戦を闘うことを決定した」と報告した吉野に対し、森は「極左だ!」と非難した。そして荷物の運搬を早くしろと急き立てた。総括を要求されている山本、金子、大槻は一つのテントに入れられたが、血と排泄物の臭いがそのテントの中に充満していた。

29日中に、テントを畳み、山小屋へと移動した。山本、金子、大槻は小屋付近に緊縛された。迦葉山は榛名より標高が高く、寒さも厳しかった。30日未明、山本が亡くなった。亡くなる直前に生後間もない娘を呼び、叫ぶ声が響いたと、妻である恵子が言った。恵子は永田の肩に顔を埋め「私は頑張る」と泣いた。

同じ30日の夕方、森が「大槻が加藤(既に亡くなっている)と同じ目つきで俺を見た」と言い出した。またトイレに立った永田の目に、屋外に緊縛されていた大槻が自分を睨んでいるように見え「総括しろ!」と怒鳴ったこともあった。その後、森は「総括しようとしているとみなして、今まで殴らなかったのは正しくなかった。全員で殴ろう」と言い出した。そして森に頼まれ、永田が全員に「これから殴ってもっと厳しく総括を要求する必要がある」と発言した。全員「異議なし!」と答えた。

そして大槻と恋愛関係にあった植垣と、大学時代から仲の良かった三崎に対し、「大槻と対決せよ」とのことで、二人が最初に殴打するように指示が出された。

更に森が坂口に、このことを大槻に聞こえるように大声で叫ぶよう指示した。坂口は「殴られないと思ったら大間違いだぞ!」と大声で叫び、全員で外に飛び出して大槻の元へ向かった。

しかし大槻は既に亡くなっていた。殴られると知って絶望し「ショック死」したのだろうと、指導部は大槻の死をそう総括をした。大槻は極端な衰弱と寒さによる凍死だった。

その後、上京していた中央委員会の一員(指導部)である山田に対しても批判の目は向けられることになる。



0.01パーセントの可能性

カンパ要請のため上京し、山岳ベースに不在だった山田への批判は、榛名ベースに於いて、上京する直前の25日から始まっていた。

山田は以前、運転手の奥田と共に高崎まで車の修理に行ったが、引き取るまで時間があったため二人で銭湯に入っていた。それを「銭湯に入った」と奥田が雑談の中で話した。
そのことを耳にした森が、「指導者でありながら、ベースから近い高崎で銭湯に入るとは警戒心が足りない」と山田を批判した。しかし山田は「奥田君を風呂に入れたのは指導上間違いだったが、自分一人で風呂に行くのは正しいと思う」と言った。その言葉を森が問題とし、山田への批判が拡大していく。

山田の上京後、森は指導部会議の中で、再度山田の批判を始めた。その内容はほとんどが赤軍派時代のことだった。そして“組織や闘争への関わり方が理論主義的であり実践力がない。また官僚主義であり、そのことを総括しないため、客観的に見ると傲慢な態度になっている”と 判断した。

31日、上京していた山田は、新しいベース地の迦葉山に到着した。しかしカンパを得ることが出来なかった。100万円単位の大きな額のカンパは難しいものだったが、都内のマンションをひとつ設定することが出来た。その直後、山田に対して激しい追及が始まった。 追及内容は、不在時に指導部会議で森が批判した内容と同じだった。風呂に関して追及された山田は「自分では官僚的でも傲慢でもなく真面目だと思っている」と答えた。森と山田は対等に話が出来る関係だったが、後にこの関係は崩れていく。

2月1日、山田に対し激しい追及が行われた。主に赤軍派時代の活動についてのことだった。その中で、病気の療養が終わり赤軍派に復帰した時のことを詰問された。「革命左派と共闘する段階で連絡を取ってきたのは、赤軍派だけでは復帰する気はなかったのだろう」と森は決め付けていた。答えに詰まった山田は「すぐに幹部になれると思った」と発言した。

更に追い詰められた山田は「C.C(中央委員会)を辞任する」と口にしたが、森は「辞任して済む問題か。我々がC.Cから除名する。一兵士としてマイナスの地点からやりなおすべきだ」と発言した。その後、山田は自ら正座を始めた。しかしメンバーに背中を向けて座るのは、総括をする態度ではないとみなされ、「雪の上で正座をさせる」ことが決まった。これは寒さに弱い山田に、あえて寒い所で総括に集中させ総括を成し遂げさせるという、森の考えであった。

早速、雪の台が作られ、そこで山田は正座をしていたが、寒さのため時々もじもじしてしまう。それを「総括しようとする態度ではない」とされ、室内に戻された。そして新たに正座を指示された山田だったが、ローソクで暖をとったり、靴下を乾かそうとしていた。それを見た森は激しく怒り「総括しろ!」と怒鳴った。殴打の始まりそうな勢いだったが、永田がある回避案を出した。それは「薪拾いを通し実践にしがみつき、総括をさせよう」ということだった。山田の総括は0.1パーセント程の可能性しかないことも森から全員に伝えられた。
そして一日一杯の水のみで薪拾いをさせることが決定された。そのことを聞いた山田は「わかりました」と土下座をするように頭を下げて答えた。

3日、朝から山田の薪拾いが開始された。監視役として植垣と寺森が指名され、森は監視役の二人から「山田は、枯れ木と生木の区別さえつかない。一緒に作業をしたが懸命にやっているようには見えない」と報告を受けた。昼からは坂東も監視に加わった。

作業後に坂東からも「ちょっと目を離すとすぐに力を抜く」と報告を受けた森は山田を激しく批判し始め、暴力による総括も始まった。一所懸命やったという山田に対し「あれが0.1パーセントにしがみつく態度か!」と殴打する。これをきっかけに他のメンバーも暴行を加えた。
最後に森が「0.1パーセントの可能性が、0.01パーセントに減った。0.01パーセントぎりぎりの可能性を追求せよ」と山田に言い渡し、殴打は終了された。そして身動きが出来ない程きつく緊縛された。



指導部の自己批判

総括を求められていた金子に対し、森は「いざとなったら子どもを取り出す」と指導部会議で発言した。その後の全体会議で、森はメンバー達に“金子は子どもを私物化していること、妊娠しているから厳しい総括要求はないだろうという態度をとっていること、官僚的で女寺岡であること”などを説明し、指導部会議での発言と同じく「子どもの奪還」を宣言した。それを聞いたメンバー達は、誰も何も言わずじっとしていた。

そして子どものために金子に食事を与え、床下から室内に移したが、立たされたまま緊縛された。金子は日々衰弱し、始めは自分から食べ物を欲していたが、やがて少ししか食べられなくなっていった。その後、土間で横に寝かせて縛りなおした。

4日未明、森が金子の容態の変化に気付き「どうした?」と金子に聞いた。すると金子は「お腹が痛かっただけです」と答えた。そして医学部に通っていた青山に診断をさせ、砂糖湯を与えた。
また夫である吉野に、ミルクを与えておくようにと指示を出したが、何故か吉野は金子にミルクを与えなかった。
その日の早朝に、金子は息を引き取った。
メンバーにとって身ごもっていた金子の死は大変なショックだった。

その後の全体会議で永田により指導部としての自己批判がなされた。 しかしそれは「我々の目的が何よりも子供の奪還であり、その為に彼女と闘うことにあったので、我々の敗北、誤り」としたものであった。



森・永田の上京

金子の死後、 永田の提案で、総括を要求されていた山田が解縛され食事を与えられた。そして「総括と食事は関係ないから一日一食は食事を与えよう」とも提案した。永田にとって、金子の死 は相当ショックな出来事だったとみえる。そして全員で土間のストーブに集まり、山田を囲むようにしてにぎやかに雑談をした。
しかし、森は東京のアジトを設定した山田から場所を聞き出すと、再び山田を緊縛させるように指示を出した。そして山田は緊縛された。

その後のC.C会議で 、「大口カンパ(現金と車)要請のために森と永田が上京すること、3〜4日の予定だがはっきりは分からないこと、その間は坂口が責任者となって指揮をとること、坂東が中心となり榛名ベースの解体・焼却を行うこと、夜に金子の遺体を埋葬すること」が決定された。

そして夕方、二人は出掛けて行った。



経過7

1972.2.5 榛名ベース解体部隊出発
1972.2.6 山本恵子逃亡 ※1
1972.2.7 前山逃亡 ※2
1972.2.7 榛名ベースの焼却に行った坂東らと連絡をとるため、中元が山本の子供を連れて榛名へ向かう ※3         
1972.2.9 妙義山ベースへ移動
1972.2.12 山田死亡 
1972.2.13 坂口、奥田らと共に上京 
1972.2.14 榛名ベース跡発見される
1972.2.15 森、永田 迦葉山ベース発見の記事を読み、妙義山ベースへ急ぐ

※1 榛名ベースに向けて解体組が出発すると、迦葉山ベースに残ったのは、坂口・中元・山本妻子・山田だけになった。そのチャンスを生かし、山本は「時計を落としたから探してくる」と中元に言い残しそのまま姿を消した。子どもは小屋に置いたままだった。

※2 1月に逃亡した原田と共に、森から信用されていた前山だったが、榛名ベース焼却後に迦葉山ベースへ帰る際、途中の渋川駅でメンバー全員がバスを待っている間に、隙を見て逃亡した。

※3 山本の子どもと共に、榛名ベース解体組との連絡係として坂口から現金100万円を預かり、坂東に手渡すはずだった中元だったが、深夜に迦葉山を出発したため、タクシー運転手に「自殺志願者」と間違われてしまった。榛名 湖畔まで行ったが、心配され警察に引き渡されてしまう。しかし友人に身元を引き取ってもらい、再度榛名ベースに向かった。しかしベースには向かわず、バスに乗り高崎まで戻ってきてしまった。その後、山本の子どもを連れて都内まで出て、友人にかくまってもらっていた。



「総括出来た」最後の犠牲者

5日、坂東や吉野を中心として、榛名ベースを解体に行くメンバーが出発してしまうと、迦葉山のアジトには、坂口・中元・山本妻子と総括を求められて緊縛されている山田だけとなった。

しかし6日の朝、山本が荷物の運搬中に、生後間もない子どもを置いて逃亡した。山本が警察に駆け込み、警官隊と共に子どもの奪還に来ると思った坂口は散弾銃を組み立てた。そして拳銃を山田に突き付けこう言った。
「警官隊が来るかもしれない。自分は闘うつもりだが、君はどうする?もし君が警官隊に加担したら、君を消す(殺す)ことになるかもしれない」
それに対し山田は「戦う。手製爆弾を使わせてくれ。警官と一緒に自爆する」と答えた。坂口は内心ほっとしながら「なぜ銃を持って戦うと言わないんだ!」と強く言った。すると「銃を持って戦います」とはっきりした口調で答えた。坂口は「山田は総括出来た」と思った。

そして坂口は緊縛されている山田のロープを鉈で断ち切り解縛した。ところが銃を取りに行こうとした山田だったが、ひどい凍傷で歩くことが出来なくなっていた。山田は寂しそうに「両足を切断するしかないな」と呟いた。坂口はお湯で山田の足を温めたり、こたつに入れたりしたが元には戻らなかった。
その後、食事を与え、散弾銃を持たせたが両手の凍傷も激しく、山田は持つことが出来なかったが、銃を抱えるようにしていた。

夜になり、まだ警官は来ないが、このまま迦葉山ベースに居ては全員逮捕されると坂口は考え、中元に指示を出した。それは「榛名ベースから迦葉山へ戻らずに、直接妙義山へ行くように」ということだった。

そして7日未明、榛名ベースへの連絡係として、中元が山本の子どもと共に出掛けると、小屋には坂口と山田の二人だけとなった。ベース移動の準備をしていた坂口だったが、上京した森に電話連絡をするため、沼田市内に出掛けた。迦葉山ベースには山田が一人だけ残された。しかし森とは連絡が取れなかった。先に戻った青山と奥田は、山田の解縛を知ると嬉しそうな顔をした。

夜になり、榛名ベースからメンバー達が戻って来た。帰る途中に前山が渋川で逃亡し、今も坂東が探し回っていることを告げた。榛名に連絡係として行ったはずの中元とも会っていないという。それで坂口は、以前関係のあった二人が共謀して逃げたと判断した。

早速、妙義山に移る準備が始まったが、山田が総括出来たことを知らないメンバーにより、山田は再度緊縛された。このことに坂口は何も言わなかった。

8日、荷物を運び終え、移動が始まった。坂口と坂東は途中にあった公衆電話で、東京の森に連絡をした。坂口が山田に銃を持たせたことを報告すると、坂東が「爆弾を持って警官と自爆すると言ったのは問題だ」と割り込んだ。それに対して森は「凍傷といっても今までの11名と同じである。自爆云々はナンセンスであるから、それで総括しようとしているとは判断出来ない」と言った。結局、森からも緊縛の指示が出された。

9日未明、妙義湖畔にテントを張り、そこを拠点としてベース地を検討することになった。10日、調査の結果、裏妙義の籠沢に洞窟が見付かり、そこに移動することになった。

11日に山田が脱水症状を起こした。食事も取れず、もう口も利けない状態になっていた。
そして12日未明、 「総括しろだって、畜生!」と言い残し、麦飯の粒を吐き捨て亡くなった。

共産主義化の闘いにおける最後の犠牲者だった。



批判の矛先

12日朝、坂口は「山田の死」を報告するために、横川のドライブインに行った。そして電話に出た森に伝えたが、上京するようにとの指示が出た。この時に森は「山田の死を、悲しげな様子で報告してきた坂口君は問題だ」と批判を始めていた。

東京のアジトで永田は、山田と金子の死に触れ「(山田の死を伝えた坂口について)悲しそうな調子になるのは分かる。私は金子の死を考えてきたけど、山で出産するという困難なことを、金子に押し付けて死に追いやったと言わねばならない」と自己批判した。しかし森は「そんなことを言っていいと思っているのか」と永田を叱った。その後、森は自分の妻も山に呼べないという点(森の内縁の妻は出産直後だった)で、もっと問題だと語る。そしてその後の話し合いで、自分達の掲げた「共産主義化」の論理により、二人は結婚することを決めたのだった。

翌13日、坂口は奥田を運転手に、青山を連れて上京した。渋谷にある森と永田のアジトには、坂口一人だけが向かった。

そして山本の逃亡から山田の死までを逐一報告した。その後、森に「なぜ山田の縄を解いたのか」と聞かれた坂口は「銃を突き付けた時、一緒に戦うと言ったから総括は終了したと思った」と答えた。
しかしその坂口の行動を、森と永田は批判した。

森・永田・坂口は、RG派のTと会談をした。それ終え再びアジトに戻ると、永田が突然、「森さんが好きになったので、坂口さん離婚し、森さんと結婚することにする。これが共産主義化の観点から正しいと思う。山田の縄を解いたことを総括して欲しい」と言った。坂口は驚いたが「分かった。永田さんに助けられてきたが、もうそういう訳にはいかないことは分かっている」と答えた。

その後、「山田の遺体はどうした」と問われた坂口は「まだ埋めてない。今場所を探している所だ」と答えた。すると森は「どうして早く埋めないんだ。早く埋めるように明日帰って欲しい」と言った。

そして翌日の14日、坂口は妙義山に帰って行った。


 



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