言葉


印象に残った詩と言葉(二十歳の原点、序章、ノートから)



1965.11.22
自分の本当の感情は底に沈ませて、装うぐらいの人でないと、自分の信念を行動には移せない。



1968.06.11
どうしてワンゲルをやっていくのか
人を愛することができるために。



1968.10.10
夜、見知らぬところを歩くのは、本当に淋しいものだ。繁華街や大通りを歩くときは、誰でもが孤独なのでかえってやすらぎを感じるのだが、それが、遠くに燈のみえる田んぼ道とか、まっくらな電燈だけが場ちがいに明るい、そしてサラリーマン風の男が一人歩いている塀でしきられたアスファルトの住宅地を歩くときは、何ともいえずひとりぼっちの気持ちになってくる。



1968.10.17
知識による欲求!人間について、社会について、事象について知りたいという欲求。知識による理論、それに基づいた意思的な生活。そんなものは全然のぞんでいない。だが時間がたち、眠気を感じたら眠り、飢餓感を感じたら食べるだけ。



1968.11.01
激動する現代は巨大な歯車で私達を圧しようと、次第に速力を早め、音高く近づいている。
まず知ること。次には理解すること。そして愛すること。
活動家は最も魅力に富んだ人間でなければならない。



1968.11.16
他の人間に甘えることは許されない。それは己れの人格、個性をダメにする。二十歳を前にして、新しい出発。他人と比べて遅い出発である。しかし他人と比べるのはよそう。私は他でもない私なのだから。



1968.12.07
一人になって考えることではなく、複数の中で一人で考えることが必要なのだ。
タバコを飲みたい
「白い恋人たち」がみたい
Go Go 喫茶に行きたい
パチンコをしたい
眼鏡をかけてみたい
そう、私には「神様」が欲しいのだ。



1968.12.21
私は否定することで、自己を確認していこうと思う。反乱でもいい。反抗ならなおいい。それによって自己を主張していこう。
私がいま危険な状態にいることは知っている。



1969.01.06
―己れを律せよ―



1969.02.15
個我の意識が他者を物化する、もう一つの恐ろしい支配形態。



1969.04.05
臆病である自分が本当にいやだ
びくびくしていて、もっともらしく、やさしくていねいにしている私
本当の私とは一体何なのか



1969.04.20
彼らは動物的な肉体関係をもっているのに、そんなものとは遠く離れた世界の中に生きているふりをしている。その父と母から、性交によって生れてきた私。キリストのいう原罪。そして私自身も醜い。鈴木との肉体関係をのぞむし、くさいくそもすれば、小便もする。メンスのときは血だらけになる。



1969.05.02
私は人を信じているのだろうか。ひどく皮肉っぽくなっている自分に、昨日気づいた。私の人を愛する心、やさしさなんていうのは、自分を保全しようとする上でしか成りたっていないんじゃないか、国家権力を憎むように他の人間を憎んでしまっているのだ。

沈黙は金
心の中でも、余計なおしゃべりはするな。
私は私の歴史をさぐっていこう。



1969.06.03
一抹の希望も抱いてはならないのだ。きっぱり訣別しよう。中村の好きなシャンソンの一曲「アデュー」を暗い夜空に向って歌った。私はあの若人のもつ明るい笑い声をとうとう失ってしまった。そして、再び「結局は独りであるという最後の帰着点」に私はいる。



1969.06.12
暗やみの中で 静かに立っている私
今日はじめて夜の暗さをいとしく感じる
暗い夜は 私のただひとりの友になりました
あたたかく私を つつんでくれます
夜は

己れのエゴを熾烈に燃やすこと!
己れのエゴの岩礁を人間どもにたたきつけ
彼らを焼き殺せ!
彼らに嘲笑の沈黙を与えよ!

ちっぽけな つまらぬ人間が たった独りでいる。



1969.06.18
なぐられたら殴りかえすほどの自己愛をもつこと。



1969.06.19
一切の人間はもういらない
人間関係はいらない
この言葉は 私のものだ
すべてのやつを忘却せよ
どんな人間にも 私の深部に立入らせてはならない
うすく表面だけの 付きあいをせよ

一本の煙草と このコーヒーの熱い湯気だけが
今の唯一の私の友
人間を信じてはならぬ
己れ自身を唯一の信じるものとせよ
人間に対しては 沈黙あるのみ



1969.06.20
私は人間どもをだましながら、己れを生きさせているのだ
だまされているバカなヤツラヨ
バカも愛を知っているものに対しては
お互いに だましあいつつ生きてゆくのだ。
「独りである」とあらためて書くまでもなく、私は独りである。



1969.06.21
とにかく私は いつも笑っている
悲しいときでも笑っている
恥ずかしいから ごまかして笑うのか
怒るのが てれくさいから笑うのか
いつでも私は おかしくて笑っている
ほんとうに何でもおかしい



1969.06.22-1
本当に何もないのだ。雨の中につっ立って、セーターを濡らし髪を濡らし、その滴が顔に流れおちたところで、どうということはない。

何もないのだ。何も起こらないのだ。独りである心強さも寂しさも感じないのだ。彼が部屋で静かな寝息をたてて眠っているだろうと思ったところで、一体それが何なのか。あるいは彼女といっしょに肉体を結び合っていたところで。もし私が彼といっしょに「燃える狐」の情感をたぎらせていたとしたら。

雨が強く降りだした。どうしてこの睡眠薬はちっともきかないのだろう。アルコールの方がよっぽどましだ。早く眠りたい。二時三十分、深夜。



1969.06.22-2
旅に出よう
テントとシュラフの入ったザックをしょい
ポケットには一箱の煙草と笛をもち
旅に出よう

出発の日は雨が良い
霧のようにやわらかい春の雨の日がよい
萌え出でた若芽がしっとりとぬれながら

そして富士の山にあるという
原始林の中にゆこう
ゆっくりとあせることなく

大きな杉の古木にきたら
一層暗いその根本に腰をおろして休もう
そして独占の機械工場で作られた一箱の煙草を取り出して
暗い古樹の下で一本の煙草を喫おう

近代社会の臭いのする その煙を
古木よ おまえは何と感じるか

原始林の中にあるという湖をさがそう
そしてその岸辺にたたずんで
一本の煙草を喫おう
煙をすべて吐き出して
ザックのかたわらで静かに休もう

原始林の暗やみが包みこむ頃になったら
湖に小船をうかべよう

衣服を脱ぎすて
すべらかな肌をやみにつつみ
左手に笛をもって
湖の水面を暗やみの中に漂いながら
笛をふこう

小船の幽かなるうつろいのさざめきの中
中天より涼風を肌に流させながら
静かに眠ろう

そしてただ笛を深い湖底に沈ませよう



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