| 映画「二十歳の原点」 |
「二十歳の原点」の映画パンフレットより
東京映画制作/東宝株式会社配給(1973年10月発行)
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| 映画「二十歳の原点」 |
| 1971年5月に新潮社より出版された「二十歳の原点」は、様々な人に読まれ版を重ね、1971年のベストセラー作品となった。それから2年後の1973年10月に、大森健次郎監督、重森孝子・森谷司郎脚本で映画化された。この映画は大森健次郎・第一回監督作品となる。 主演は当時新人女優だった角ゆり子。 |
| スタッフ、キャスト | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| ストーリー |
| …自殺した若い女性は高野悦子さん。20歳で、立命館大学文学部史学科の3年だった。遺書はなく、大学ノートに10数冊の横書きの日記が遺された。 1月2日、悦子は郷里の宇都宮で20歳の誕生日を迎えた。母親が作った成人式の晴着も、何となく、おしきせがましく感じ、イライラした毎日を過す。3ヵ日を過ぎて間もなく、悦子は京都の下宿に戻ってきた。時を同じくして悦子の親友でもあり、学園闘争の闘士、牧野も京都に帰って来ていた。 その頃、東大、京大と学園紛争は連鎖反応的に日本全国に拡がり、悦子の立命館大学にも紛争の波は押しよせていた。バリケード、機動隊、赤ハタ…。機動隊の棍棒で殴られ眉間から血を流しながら連行された、渡辺委員長の美しい顔を目前に見て、悦子は「何カヲシナケレバ…デモ何ヲシタライイノダロウ」と思う。 下宿でタバコを吸う悦子。20歳の記念にメガネを買う悦子。本当の自分をかくし、メガネをかけた自分の存在の滑稽さを演じている意識を楽しむ。 カミソリで指先を切る悦子。自分にも赤い血が流れている。でも、一人で何ができるのか。両手を出して、飛び込んでいける恋人が欲しい。 ある日、迷いの中から、悦子は目覚めた。学生闘争から挫折していった牧野ら友人。目の前で逮捕された時の渡辺の目。荒れ果てた教室の中で、悦子が見たものは、自分自身の姿であり、戦う相手が自分であるということだった。 長い髪の毛を切り、友がいなくなった下宿を出て、ホテルでウェイトレスのアルバイトをする決心をした。一日働いて疲れ果てて、宴会場にあるグランド・ピアノの前に坐るときだけが、悦子が以前の素直な悦子でいられる時である。 下宿に帰ると突然来訪した父が待っていた。授業料を下宿探しに使った事、髪を短くカットした事を責められた。父を送っての帰途、深夜の河原町通りを歩く悦子は淋しかった。その夜、スナック“ろくよう”ではじめてお酒を飲んだ。そこのマスターは、アルバイト先の鈴木主任と同級生であった。彼との会話の中に自分が鈴木に恋をしていることを意識した。 悦子は学校への、親へのささやかな自分自身の抵抗として、試験を放棄、授業料の不払いを決意する。 お酒の楽しさ、自分は独りであることの確認。 鈴木への激しい想い。 4月、新入生を迎えて、大学キャンパスは正に平和そのものである。その中に立ちつくしている悦子。 「コレハ、イッタイドウイウコトナノダ。アレカラ3ヶ月モタタナイノニ、コノ平和ナ姿ハ。ニセモノノ平和、アノ渡辺ノ残シテイッタモノハ、ドコヘ行ッテシマッタノカ。ニセモノノ平和ニハ負ケナイ」 悦子は、自分独りでも戦おうと思った。授業料の不払いという形での両親との訣別、孤独との戦い、未熟であることの認識…。 メーデーの日、偽りの平和に甘んじる人々の表情を見て悦子は絶望した。この日、鈴木への激しい思慕を胸に抱きながら、バイト先の京大生中村とデイトをした。 酒、タバコ、中村との生活、遠くなってしまった家族との対話、学生闘争への没入…。 しかし、悦子は、空っぽの満足の空間にさまよう。 すべての奴を忘却し、どんな人間にも、悦子の深部に立ち入らせてはならないと思う。沈黙あるのみ。でも淋しい。 暗い夜だけが、悦子のただ一人の友となる。酒、睡眠薬。 悦子は永遠の旅に出る―。 (パンフレットより) 高野悦子役を演じた角ゆりこは「天神踏切の場面を撮る前の晩は眠れなかった」そうだ。 |
| ある青春 二十歳の原点 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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映画制作と平行し、四人囃子によるサウンドトラックが製作された。 以下はアルバム「ある青春 二十歳の原点」(CD)より。 (自分でテープ起こしをしたので間違っている部分があるかもしれません。すみません。)
2002年12月、当時のジャケットもそのままにCDとして発売された。 |
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