京都新聞記事



文化さろん「女子学生の自殺」〜高野悦子さんの日記から〜
1971.6.12/京都新聞夕刊
学園紛争に疲れて 興味と共感 学生に人気
とにかくよく売れている。いや正確には売れたというべきだ。先月中旬に発売されるやたちまち売り切れてしまい、もうどこの本屋へ行ってもないからである。出版社では大急ぎで増刷中だ。この本―高野悦子著「二十歳の原点」。一昨年、立命大の三回生に在学中、起こった学園紛争に全共闘派の一人として参加、闘争の最中に自殺した下宿に遺していた日記である。ノンポリからやがて心情三派にそして全共闘派へとのめり込んで行く中で起こった家族との決別、アルバイト先での恋愛、そして怒りと孤独と・・・平凡な一女子学生が紛争の中で死へとたどった軌跡が生々しくえがかれている。これが同世代の若者の共感を呼ぶのか、買っていくのは学生が圧倒的に多いという。


山陰線へ飛び込む
本が出たのが5月10日である。もう京都の書店にはどこにもない。丸善では50部仕入れたが4日ほどの間に全部売り切った。京都書院でも160部がすぐ売れてしまい、その期間の同店でのベストセラーのトップになったし、学生専門書店として有名な京大正門前のナカニシヤ書店でも最初に仕入れた50部がうれ、あわてて追加注文したもう50部もすぐさばけてしまった。5月末の同店では高橋和巳の「わが解体」、柴田翔の「立ち尽くす明日」と並んでベストセラーの第2位になった。「ええ、その後もお客さんから問い合わせがたえないので出版元へ何度も注文をしているんですが、品切れだそうで。増刷中のが今月中旬には出来るらしいので、出来たらすぐ送ってくれるよう頼んでいます」(丸善)という調子である。

高野悦子さんがなくなったのは44年の6月24日。京都市中京区西ノ京平町の国鉄山陰線へ飛び込んでの自殺だった。二十歳である。死後、下宿から何冊もの大学ノートにびっしりと書きつづった日記が見つかった。そこには死の2日前までの彼女の生活が克明に書かれていた。「二十歳の原点」はこれを父親の三郎さんが、紛争の中で死んだ一女子学生の軌跡として編んだものである。


立命大入学したが
同書から高野さんのプロフィールと本の内容を簡単に紹介すると―。高野さんは、昭和24年1月、栃木県西那須野町、県職員高野三郎さんの二女として生まれた。同地で小、中、高(女子高校)とすごしたあと、42年春「反骨精神、奈良本教授の立命館史学、歴史のみやこ京都」にあこがれて立命大史学科へ入学。下宿生活を送りながら部落問題研究会へはいったりしていた。やがて44年1月、京大紛争が始まった。「二十歳の原点」はその年の1月2日、彼女がちょうど、二十歳になった日から始まっている。この日彼女は家族と共に温泉で楽しい休日をすごしたが、やがて京都へ帰ってくると、大学はすでに不気味な紛争の前触れが起こっていた。1月17日の中川会館の封鎖で本格的な立命大紛争が始まる。大学のあり方には批判的であっても、初めは全共闘側にも民青側にも関わらないでいた彼女だが、やがて心情三派になり、2月末になってついに全共闘側に参加。以来、デモにバリケードにと活発に動く。と同時に、体制側にある両親からの独立をはかって、自活するべく京都国際ホテルでウエートレスのアルバイトを始める。 

闘争では警察に一方的におしまくられ、アルバイト先では失恋をし、この間、酒を覚え、「孤独だ」「からっぽだ」といいながら自殺した6月末を迎えるのだ。


父兄たちにも好評
売れているのは京都や彼女の郷里栃木ばかりではない。東京の書店でも品切れになったという。売れる理由は土地のせいだけではないのだ。買っていくのはほとんどが学生。それも京都書院の話では、当時彼女と共に学園紛争に参加した世代ではなく、その後に大学生になった1,2回生が多いという。他に高校や中学の先生や、また栃木の両親のところへ来た手紙によると、両親同様に学園紛争世代の子供をもった父兄らによくよまれているらしい。読者層からみると、やはり紛争の最中に自殺した女子学生への興味と共感が売れている理由のようである。しかも全共闘派女子学生というレッテルから想像されがちなイデオロギーにみちた堅苦しい内容ではなく、ごく平凡な女子学生が学生として女として精一杯生きたいかにも若者らしい姿が赤裸々に描かれているのが、紛争の立場を超えて共鳴を呼ぶのだろう。書店でも「同時代の共感ではないですか」(丸善)、「一大学生の手記が一流の出版社に取り上げられた興味があるのでは。事実よく書けていますし」(ナカニシヤ書店)、「若い人が考えているテーマと一致するところがあるんじゃないかと思います」(京都書院)とだいたい一致した見方をしている。


ショックだったが
この本について彼女と一緒に闘争し、紛争終了後、大学を中退していまは小さな事業を営んでいるSさん(24)は「彼女が自殺したことはショックだったが、紛争中に私が考えていたことは彼女が考えていたようなことと同じで、非常に共感します。またそれだけにこれが世に出て、よく売れるというのは許せない気もするのです。実は日記を見つけたのは我々なんですが、そのとき我々の仲間でこれを本にしようという派とこれに反対する派と分かれた。本にしようという連中は、これを埋もらせておくわけにはいかない。あの闘争の真の姿を示すものとして、自分らの本当の記録として出すべきだという考えだったのですが、結局、出さないという意見が多くてやめになった。それがいつのまにか出て・・・」といっている。


両親のもとへ反響
栃木県の両親のもとへは多くの反響が寄せられているが、学園紛争世代のものがほとんどで、内容は「自分も同じことを考えていた。彼女のような犠牲者をなくすため、この本が出されたことは意義が大きい」というのと「まるきり当時の自分と同じなので、自分たちの心をみすかされるようでつらい」というのに二分されるという。この辺にこの本の意義も内容も要約されているとみてよいだろう。

出版社の新潮社では最初の1万部につづいて、いま今月中旬までの予定でさらに1万5千部を増刷中である。


(原文ママ/9面)




高野悦子・5へトップページへ