高野悦子「二十歳の原点」2


まず知ること。次には理解すること。そして愛すること。
活動家は最も魅力に富んだ人間でなければならない。
(高野悦子「二十歳の原点序章」)



主体性
1967年4月、高野悦子は立命館大学に進学した。8日に行われた入学式で、メンネルコールによる校歌の合唱を聞き、改めて立命大に入学したと喜びと実感をもった。 そして総長の言った“自信と誇りのもてる人間になれ”という言葉を反芻し、そのような人間になれるように努力しようと決めた。
 
今、現在の大学では主体的になるということのむずかしさを感じている。その理由の一つに私の性格の問題がある。自分考え(それ自体私にとって問題なのだが)を押し通すというよりは、他人に同調し、その場限りの波のない対人関係を持とうとする。
それからあと一つは私の思想(実は、思想などと呼べない幼稚なものなのだ)は深さがない、浅い。底が見えすいているということだ。
しかし私はどうしてもこの四年間主体性を持って進まなければ、これからの人生は無意味になる。(1967.4.13)

この後、早速、史学科日本史専攻の上級回生が開いた茶話会に出席したり、歴史研究会のガイダンスなどに参加した。5月1日には、初めてメーデーに参加した。参加理由を「メーデーを知るためにメーデーに参加したのです。全学連でも何でもよかったわけです。(1967.5.2)」と日記に書いている。また、メーデーなのに、全学連と労働者の交流が無かったことを、全学連のデモンストレーションと感じていた。



部落問題研究会へ

歴史研究会に入るつもりだったが、 社会についてあまりに知らない部分が多いと自分なりに感じた彼女は、自分の思想を確立する為に(広い視野で物事を考えたい)、直接その内側へ入り 、活動していこうと思うようになった。

また歴史研究会は、一回生部会が取りやめになったいうこともあってか、5月になると部落問題研究会(以下部落研)へ入った。 しかし、他のメンバーから民青加盟へのオルグを受け戸惑いを隠しきれなくなったり、全学連と府学連のどちらを取るかの決断を迫られたりしていた。日記に本音を綴る。

府学連、全学連そんなものはもうたくさんだ。私は私の生活、学生生活をもっとたいせつにしていかなければならない。お茶をならって、ギターを弾いて、静かに文学書をよむのが何故いけないのか。(1967.5.24)

後に「学生の生活をよりよいものにしてくれるから(1967.6.4)」と、全学連を支持することに決めた。
地域活動や子ども会への参加を通し、力強く生きている子ども達の存在に、励まされたり勇気をもらったりした。しかし、自治会活動などに専念しすぎて講義を欠席する回数が増え、7月にはほとんど出席しなくなった。

メンバーとの信頼関係が出来つつあったが、民青への加盟の勧めが頻繁に行われるようになると、疑心暗鬼に成らざるを得ないような状況になっていった。



生活

この頃の彼女は、クラブ活動を中心にしつつも、“本来の学生生活とかけ離れている”と感じ、きちんと講義に出席しようと決める。人との付き合いに積極的になること、日記に関しても自分が書いたことに責任を持つことなど、目標を立ててそれに沿って行動しようと試みている。

自分の壁を壊そうと努力するが、その過程で辛くなってしまう。自分を見透かされないように虚勢を張ってしまう。そしてそういう自分が嫌になる…。

入学後、初めて 夏休みに帰省したが、京都に戻って少々ホームシックになり、カーネーションを買ってきて空きびんに挿したり、実家に電話を掛けたりした。

部落研は彼女にとって「生きていく」場所であったし、生活の一部になっていたが、その生活に負担を感じ始めていた。

メンバーから 何度もオルグを受け、10月になると民青への加盟を考えるが、11月にはまだその必要はないと見送った。そして12月に入ると、部落研をやめるべきか、続けるべきかで悩むようになる。

翌年1月には、部落研退部の決意を日記に記し、学業に専念することを誓う。
すぐに退部届けを出したわけではなく、 段々と距離を取りつつ、1968年の4月に部落研をやめた。活動期間はおよそ一年だった。

今までの自分の行動や責任について散々悩み、 暗い気分の彼女だったが、1968年4月の京都の街は、心が弾むほどきれいだったそうだ。



ワンダーフォーゲル部へ
1968年4月下旬、ワンダーフォーゲル部(以下ワンゲル)に入部した。 元々彼女は山が好きだった。部員の明るさにも驚いた。すぐ近くに迫ったメーデーについても考えたが、クラス討議や歩いている人々の明るい雰囲気に押され“自分自身と闘うため”に参加をした。

ワンゲルに入ってから、日曜日になると毎週のように山に登ったり、コンパに参加したりしていた。自分の居場所を見つける為に入部したことも理由としてはあったが、様々な山に行くことは、彼女にとって新鮮であったし充実した日々だった。

ある時のコンパの際、部員の一人に「なぜワンゲルをやっているのか」と聞かれた彼女は、 酔い潰れていたせいもあり、とっさに答えることが出来なかった。
そして山から戻った日の日記に、その答えとしてこう書き記す。
 
何故ワンゲルをやっていくのか
人を愛することが出来るために。(1968.6.11)

7月入り、 山小屋で初めて会ったという、ある四回生の厚みのある話を聞いて、彼女は衝撃を受けた。自分の薄っぺらさ、ワンゲルに対し明確な目的意識を持っていないことに焦りを感じ始め る。 そこで彼女は、自分を「演技者」として認識し、ワンゲルの中では徹底して“actor”になりきることにより、本当の自分を隠し、乗り越えようとした。

また、他の部員達のように、思いっきり明るく振舞えないことに気付く。 それは心のどこかで、活動家や部落研に対する引け目があったからだった。過去は過去と、スッパリと割り切れない自分がいた。



牧野さん

「二十歳の原点」には、最も親しい友人として“牧野さん”が登場する。牧野さん(以下敬称略)は、彼女のクラスメイトの一人だった。頭がよく、気取らない気さくな女性で、教育に関心がある人だったそうだ。

1968年4月、その牧野が下宿していた学生アパートに、自ら望んで彼女は引越すこととなった。時にはある本について意見を戦わせたり、一緒に山に登ったりするとても良い関係だった。

下宿で酔っ払ってどうしようもない時も、トイレで吐き散らした物の後片付けや「しっかりしろ!」と泥酔する彼女に声を掛け、塩水を飲ませてくれた。彼女が学生運動にのめり込み始めた時も、心配しつつも自分の意見をはっきり言う強さを持っている友人だった。






 

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二十歳の原点・序章から拾った彼女の読んだ本(表) 二十歳の原点・序章〜読む〜




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