<付録>読者からー『二十歳の原点』を読んで


昭和46年5月、『二十歳の原点』を発行以来、遺族高野三郎氏宛に大部の投書が寄せられました。ここにその一部を、諸氏のご了承のもとに付録として掲載いたします。(付録より)


※当時の「二十歳の原点」を読んだ方から寄せられた手紙のため、現在の感覚で読むと、しんどい部分があるかも知れません。個人的には、熱くて、時代を感じられ好きです。
ちなみに、この冊子は、私が購入した「二十歳の原点序章」(単行本)に挟まっていたものです。



A
私、先日『二十歳の原点』を読み、名状し難い複雑な気持ちを味わった者です。実際、「複雑な」気持ちの中味は、共鳴であり、反発であり、同情であり、「友を失った悲しみ」であり、くやしさであり、愛しさであり、そして……でありますが,渾然としたこれらの気持も言葉にしますと「複雑」という平板な意味しか持ち得ないものになってしまいます。

悦子さんを「大学紛争の犠牲者」として他の人々と一括にすることは可能でありましょう。「紛争」は私達にとって大問題でありました。私達も、親や友人・知人と会うごとに論議を重ね、悩み、苦しんできました。ある時は親と口論になり、ある時は親友との絆が消えて行きました。そうした時に常に感ずるどうしようもない疎外感・違和感、気まずさなどに私達も対峙し、やりきれない気持を抱いてきました。

尤も、私自身は悦子さんのように直接全共闘運動に参加はしませんでしたし、積極的な「改革」への志向を抱いていたのでもなかったので、悦子さんに関して物を言う資格に欠けているかもしれません。しかしそれでも私には悦子さんの気持がわかるように思われるのです。同じ七十年代の学生として、紛争に直面した者同士として、挫折を迫られた者として。私は今日まで生きて来ました。そしてこれからも生きて行くでしょう。悦子さんのような純粋さを保てなかった私にとって、彼女のノートは私に対する告発であります。しかししれでもなお、私は生きなければならないと思っています。私も、失恋をし、友情の幻影を断ち切られ、会社の保守性に押し潰されて、八ヶ岳へ永眠すべく東京を発ったこともありました。幸か不幸か命拾いをして、山を降りた時、私は生きることの実感を覚えたように思いました。その時頭に浮かんだのは田舎の両親でした。その時私は生きようと思いました。

(東京都 本間俊典)



B
弟にすすめられ、ふと手にした一冊の本。それは『二十歳の原点』という一女子大生の日記でした。それは僕の限りない勇気と、人生に対する真剣さを与えてくれました。同じ世代の若人が、それも一女子大生が、現代の矛盾、動揺の中で自己にあくまでも忠実であろうとし、思想にあくまでも純粋であろうとしたがゆえに、社会から訣別し、一人ぼっちになってしまった。その結果が、傷ましい自殺であったとは。

僕はこの本を読み終えた瞬間、本を胸に抱き、泣きました。「生きていて欲しかった、この様な人こそ!」と思い……。僕がいま目をつむると、一人の女子大生が純粋な気持で社会に挑み、悩み苦しみ、そして短い生涯を賭け切り消えてしまったという感じが、イメージが、脳裏に焼きついているのを感じます。

僕も現在ある意味で自分との戦いの毎日です。そのような日々の中でこの本とめぐり合い、やるきが出ました。さらに真剣にという気持が起こりました。真剣になれ!怠けるな!もっと真剣に生きろ!と本が叫ぶのが聞こえる様です。

(大阪市 吉田正文)



C
彼女のノートは私の過去でもあるように思え、又、「失格者の弁」と題したお父様のお話は、まさに私の老いた父母そのものでした。私もバリケードに出入りした者です。私の家でも。特に父とは話がかみ合わず、家に帰るたびに夜遅くまで議論にならない議論をくり返しました。思えばそれは所詮無理なころであったのですが……。自分が生まれ育つうちに身につけた考え方は一生ついてまわるもの。世の中がへんかしたからとて、娘が何か言ったからとて、変わるものではありません。けれども当時の私には、あいまいな父娘の人間関係を続けることが許せなかった。相互に何も理解することなく関係を続けることが無意味に思えたのです。もちろん今でもその考えは変わりません。でも父母のことは、世代の違う人間としてあきらめました。

悦子さんのノートに見られるような徹底的な生への追求から私は逃げました。自分を否定したところの孤独が何を意味するか、当時の苦しんだ人間なら誰でもがわかっていたことでした。だからこわかった、入籍しただけの私の結婚も逃避の一つだったかもしれません。しかし今、次第に後退する、弱くなる、妥協していく自分を見るのは苦しいことです。彼女のノートは、そんな自分を笑っているようでした。

(京都市 井沢多美子)



D
高野悦子さんに捧ぐ。君は僕のことを全然知らないだろうけど、僕はようく君のこと知ってるよ。どうだい天国の暮らしは。君が好きだったタバコと酒はあるかい。いつも君を誘い込んでいた音楽喫茶は、ジャズは、笛は……。僕の安アパートの一室には飲みかけのホワイトとハイライトがあるよ。よかったらいつでも飲んでくれ。

僕は「革命を夢みるロマンチストでもなければ戦闘性もない、ベルレーの様でもなければまじめで誠実でやさしさあふれる愛情の人」でもない。どうだい、軽蔑するかい。僕はここで単に開き直ったつもりで言っているんじゃないんだ。ただ君が愛した何人かの人間の他にも、こんな人間がいたということを言いたかったんだ。これはわかりきったことの様で非常に大切なことだったんだ、特に君にとっては。

(三重県 山川孝)



E
私は青森市内に住む一高校生です。『二十歳の原点』を読ませて頂きました。広い視野で見れば小さな事件にすぎないかもしれませんが、一人の人間の生命の尊さには変りはありません。同年代の一個人の生き方として僕は考えさせられました。僕自身親元を離れ下宿生活をしています。人間は結局一人で生きていかなければいけないんですね。そういう意味ではこの本でもよく言われている“孤独”なのかもしれません。大学の紛争のことは私には全くわかりません。その経過すらわかりません。この本を読んで私の知ったことは、高野悦子という一人の人間に絶大な愛情を感じたこと、学園紛争にさなかにいる人達の複雑な心境、それになんといっても高野悦子という人間の生き方です。

私は高野悦子を愛しています。独りじゃない、僕は常に彼女を見守っていたい。この本を読んで、僕の生き方は変るでしょう。僕みたいにこの本を読んだ人は全国に沢山いるでしょう。そして感動し、涙を流したり、怒ったりした人がいるでしょう。僕は彼女のことを忘れません。この事件が忘れられて、やがて彼女のことが忘れられても、彼女は僕の心の中で生きている。たとえ忘れても僕には彼女の日記がある。

(青森市 竹山秀夫)


 

F
私は、二十歳になる前にこの本を読めたことを、本当に良かったと思います。
まだ二十歳で若いというのに、まだまだ他の人は若さを楽しんでいるに違いないという世代なのに、おそろしいほどの孤独の中で、自己の内部で戦い続けた一人の若い女子大生がいたということを、本当に思い知らされる思いで教えられたのです。

他の人が、若い若いといって青春を楽しんでいる時、こんなにも孤独で、自分の否定するものに対して強く激しく闘い続けた人がいたのです。この悦子さんの手記(ノート)は、私に青春の厳しさを教えてくれたようです。私も二十歳になって、他の人がノホホンとしていてもそれといっしょになってちゃいけないのだと思いました。そして人生の糧として、特に二十歳の頃の生き方の参考にして、この著者のように強烈で厳しい二十歳の原点に立ちたいと思います。

(厚木市 渡辺真知子)



G
現在の私よりも五歳も年下の女の子の書いた手記に何故これ程までに心ひかれ共感を覚えるのでしょうか?余りにも傷付き易く、余りにも真摯であった一人の人間の脆弱な感性に、私は心をうたれたのだと思います疲労感と挫折感、蹉跌の悲しみ、そして失恋の打撃の中に自らの手でその若く美しい魂を中天に飛散させたお嬢様の気持が現在の私には我がことの様に感ぜられてなりません。


(大阪市 吉田正文)



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