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井手の神 伊東俊次郎 翁
いでのかみ    いとう しゅんじろう ( 1822〜1891 享年69歳)

1901年開鑿(かいさく)された若宮井路。開鑿の10年前、この大事業で村の人が豊かな生活ができることを信じ、地域の発展を夢見た伊東俊次郎翁は志半ばで黄泉の国へ旅立ちました。翁の足跡をたどってみましょう。

伊東俊次郎実測図
1875年測量開始〜1890年測量終了 計画図完成
この実測図は昭和61年10月に発見されました。大小5巻の巻物になっています。
写真は朝地町宮生(みやお)付近の実測図です。

伊東俊次郎翁の足跡
年  代 事  項 備  考
1822年(文政5年) 豊後岡藩志賀村に生まれる
現在の朝地町大字志賀
1840年頃 村の組頭になる。(俊次郎18歳)
幼い頃から地域の人のために尽くしていました。
1850年頃 岡藩の貢米出納方になる
仕事も確実で、清廉であったと伝えられています。
1875年(明治8年) 水路の測量を始める(俊次郎53歳) 俊次郎は地域の人々がお米をたくさん作って豊かな生活ができるようになることを願っていました。
地域の人は水路建設は暴挙だそんなことはできるはずがないと俊次郎を笑ったそうです。
1880年(明治13年) 測量及び実測計画図作成 資金不足の為阿蘇の虎屋、戸次の帆足家に出資を願い出たが断られた。
1886年(明治19年) 工事をしようと渡辺耕平(岩手県の人)に頼んだが断られた。
1890年(明治23年) 実測図完成 祖先伝来の家財をすべて投げ出し、その上借金までして実測図を作り上げました。
1891年(明治24年) 10月28日俊次郎死去(享年69歳) 水路建設が実現しないまま亡くなってしまいました。死の直前まで若宮井路を完成させることを周りの人々に依頼したと伝えられています。

若宮井路は俊次郎翁の没後、1901年(明治34年)に完成しました。

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伊東俊次郎翁頌徳碑 俊次郎実測図
(若宮神社付近)
飛田川頭首工(昭和初期)

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