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政木先生の数ある教えの中で、最初に大変印象に残った言
葉です。先生にお会いする以前の当研究所は、自己の能力を 高めて相互に啓発することが主流でしたが、この教えがキッカ ケとなって大きく方向転換したことになります。講演会で、「修 業とは、お経を読んだり、滝に打たれることではないですよ。そ んな時間があったら、1分でも1秒でもいいから、周りの人に喜 びを与えることですよ」とおっしゃられた言葉が今でも耳の奥に 残っています。
分にできることは何かな?、と考えた時、最初に頭に浮かんだ のは、政木先生の生き方を多くの人に“体感”していただこう! ということでした。
先生が亡くなられて1年が経過し、今改めて、周りの人に幸
せを感じていただくために自分にできることは何か?、と考え てみると、やはり“生き方の提案”ではないかと思われます。従 来の、お金やものに価値を見い出す生き方から、お金やもの に囚われない生き方へ。誰かに依存する生き方から、自律し た生き方へ。感覚的認識(五感)から超感覚的認識(直感) へ・・・・などなど。たくさんのキーワードが思いつきますが、心 構えは政木先生がいつも言っておられた「自分のことよりも周 りのことを考える」こと。そして幸せを与えようと思うと目先の欲 望になるから、「自分が良かれと思ってやったことが、結果とし て、周りの人の役に立つ」、という生き方を実践していきたいと 考えております。
<追記>
政木先生の講演会に参加して“人生観が変わった”という人
は多いのですが、勝手な推測をすれば、先生が何度も繰り返 しお話された、「自分のことよりも周りに幸せを与えることです よ」という言葉が胸に響いたのではないかと思います。自分自 身を振り返ってみても、まず“自分”があって次に“他人”があ るという優先順位を無意識のうちにつけていたのが軌道修正 され、人のために生きようという本心の心が目覚めたような気 がしています。
しかし現実としては、“周りに幸せを与えよう”と決意して色々
やってみてもうまくいかないケースの方が多く、良かれと思って やったことでも相手にとっては“余計なお世話”になってしまい ます。多分“人のため”と“お節介”は紙一重であることを痛感 している人も多いことと思います。政木先生のお話では、“幸 せを与えようと思うこと”が大きな欲望ですので、まずこの欲望 を捨てることが周りに幸せを与えるためのスタートラインとなり ます。自分で良かれと思ってやったことが、結果として、周りに 幸せを与えるのが望ましいのであって、人間性が高まるにつ れて、“お節介”がだんだんと“人のため”に変わっていくようで す。
例えば、仏教ではこんな話があります。地獄では、ご馳走の
盛られたテーブルの周りで人々が長い箸で食べようとしている のですが、箸が長すぎて食べることができず、みな腹ぺこの状 態です。一方、極楽では、地獄と同じように長い箸で食べるの ですが、人々は楽しくなごやかに食事をしています。何故かと いうと、自分のお箸でつかんだご馳走を、お互いに向かい側 の人の口に入れてあげているからというわけです。
<講演より抜粋>
◇私のところへピカッと光って仏像がいっぱい発生しました。し
かし、「仏像は一般の人に何の幸福も与えない。汝は新製品を 作って、多くの人に喜びを与えよ」との言葉があった。それから 一週間に3つ平均新製品が出て、無償で電器会社に作っても らった。
◇私は本も新聞もほとんど読みません。文献を先に読むと、文
献の内側でしか考えられないし、それ以上進歩しない。だか ら、文献を読まずに、自分でやろうとすることをきちっとやってし まってから文献を読んだ方がいい。世の中の根本さえまっとう できれば、必要なことはインスピレーション、あるいは神示でき ます。
◇自分さえよければと思っている人は、一時的によくなっても
最後は幸福がきません。岡山の大きな会社がどんどん支店を 出して、周辺の人を苦しめた。でも、今では全部ダメになって 財産もなくなってしまった。人間の中に生命体がいるから、因 果応報はきちっと起こります。悪いことをするとそれが自分に 戻ってきます。
◇林原社長は、毎年40億円のポケットマネーを出して、ガンで
困っている人に対してインターフェロン周辺のOH1、OH2を無 償で配っている。こういうことをするから、林原社長に対して、 「陰徳を積みたるが故に20年間寿命を延ばす」と神示があっ た。
◇昭和47年頃から人間性の測定を始め、毎日20人、30人と
測っていたら累計で6万人になった。お金ももらわずに、ふらふ らになって測っていたら神示があった。「修業とは、お経をあげ
・・・・・<1995年4月29日政木先生講演会より抜粋>
☆こちらで講演の一部筆録と先生の肉声がお聞きになれます
<著書より部分的抜粋>
お釈迦様は悟りを得るため、さまざまな修行を積んだといわ
れている。しかし悟りを開いてからは、人々に「難行苦行をせ ずとも悟りは開ける」といわれた。それは修業は苦ではないと いうことである。苦しいと思ったら自己の向上はない。この世の すべてに対し「ありがとう」という感謝の気持ちがあれば、苦し いとは思わなくなるだろう。また、お釈迦様は悟りを開いたとき 「当たり前のことが分かった」といわれたそうである。「悟りを得 たい」という欲望があるうちは心の目は盲目である。欲望を捨 て、自然の真理が分かったとき、それは当たり前のことになる はずである。
人間の心の中にある生命体は、生まれた時は全て同じ第一
生命体である。ところが、十一歳で人間性をつくる第二生命体 が宿る。それは環境、考え方、生き方によって大きく変化する。 何もしなければ、第一生命体、第二生命体だけで人生を終え る。けれども、人間性を高めるための修業によって、生命体は 何十、何百と宿っていく。ここでいう修業とは、知識を増やすと か、仕事の努力をすることだけではない。その修業を社会に役 立て、他の人を幸せに導くことで人間性を高めることが、真の 修業なのである。私が六十歳の時に、私の生命体に啓示が下 った。「修業とは、自分の行ったことが、自分以外の人に幸せ を与えることなり」。 他の人に幸せを与えるエネルギーが、自 分の中にある生命体エネルギーを高め、自分に還元され、人 間性が向上していくのである。・・・・「未来への発想法」より
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